コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

石田梅岩 いしだ ばいがん

8件 の用語解説(石田梅岩の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

石田梅岩

江戸中期の心学者。丹波国生。名は興長、通称は勘平。石門心学の祖。師は小栗了雲。商業観・人間観において自由さと清新さを示し、京の町人層に歓迎された。大坂・河内・和泉などにも出講し、手島堵庵斎藤全門・富岡以直らの人材を得て心学興隆の基礎を築いた。著書に『都鄙問答』『斉家論』などがある。延享元年(1744)歿、60才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

いしだ‐ばいがん【石田梅岩】

[1685~1744]江戸中期の思想家石門(せきもん)心学の始祖。丹波の人。本名、興長。小栗了雲に師事。実践的倫理思想をわかりやすく説き、町人層に歓迎された。著「都鄙(とひ)問答」「斉家論」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

石田梅岩【いしだばいがん】

石門(せきもん)心学の祖。通称勘平。丹波(たんば)の農家に生まれる。一時京都の商家に奉公したが,いったん帰郷する。23歳で再び上京し商家黒柳家に仕え,その業に励むとともに儒学などを独学し,〈人の人たる道〉を追求した。
→関連項目手島堵庵

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石田梅岩 いしだ-ばいがん

1685-1744 江戸時代中期の心学者。
貞享(じょうきょう)2年9月15日生まれ。石門心学の祖。農家に生まれ,京都の商家ではたらきながら独学,のち小栗了雲に師事。享保(きょうほう)14年京都車屋町に塾をひらく。神・仏・儒・老荘をとりいれたその教えは,人間価値の平等や商人の利潤の正当性をみとめていたため,町人を中心として庶民の間にひろまった。延享元年9月24日死去。60歳。丹波桑田郡(京都府)出身。名は興長。通称は勘平。著作に「都鄙(とひ)問答」「斉家論」など。
【格言など】売利ヲ得ルハ商人ノ道ナリ(「都鄙問答」)

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

石田梅岩

没年:延享1.9.24(1744.10.29)
生年:貞享2.9.15(1685.10.12)
江戸時代の代表的な人生哲学,社会教化運動のひとつと目される石門心学の始祖。名は興長,通称は勘平,梅岩は号。丹波国桑田郡東掛村(京都府亀岡市)の農家石田権右衛門,たねの次男。幼くして京都の商家へ奉公に出るが,15歳で帰郷。23歳で再度上京し,商家黒柳氏に20年余にわたり仕えた。そのかたわら,神道,儒教,仏教などを学び,43歳で市井の隠者とされる小栗了雲に邂逅し,「心を知る」の課題を「性は目なし(無我の境地)にこそあれ」と開悟するに至った。45歳のとき,京都車屋町の自宅に講席を開き,聴講無料,紹介者不要の開放的な形式をとって布教に専念した。当初の聴講者はわずかであったが,庶民層に門弟が漸増し,大坂に出講するまでに至った。主著『都鄙問答』(1739)は,門弟の要望を容れて,教説の基本原理を記述したテキストであるが,心学教化運動の原点として後世の教育に深甚な影響を与えた。5年後には梅岩が重んじた倹約について,人間の本性の洞察にまで思惟を深めた『倹約斉家論』が上梓されている。梅岩は,商人の利潤を武士の俸禄に比してその正当性を認め,商人蔑視の社会動向を否定,すすんで万人の心に内在する「性」の深究によって,士農工商は人間としての上下でなく社会における職分と説き,本性の存養こそ人間が真の人間となる要諦とした。<著作>柴田実編『石田梅岩全集』<参考文献>石川謙『石田梅岩と都鄙問答』

(石川松太郎・天野晴子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典 第2版の解説

いしだばいがん【石田梅岩】

1685‐1744(貞享2‐延享1)
石門心学の祖。丹波の山村の出身。京の商家に奉公しながら独学で儒教を学び,のち小栗了雲に師事した。1729年(享保14)悟りを開き,無縁の町人を集めて聴講無料の講釈を始め,日本における社会教育草分けとなった。文字になずむ学者を文字芸者とののしり,生きた学問を求め,朱子学を中心としながら,神道や仏教や老荘をも取り入れた。当時世の中で卑しめられていた商人を市井の臣とし,社会的職分遂行の上では商人も武士に劣らないと主張するとともに,商人の反省を求め,悪徳商人を非難して商業道徳の確立を説き,商取引は1対1の対等の場で自由に行われねばならぬと主張した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石田梅岩
いしだばいがん

[生]貞享2(1685).9.15. 丹波,桑田
[没]延享1(1744).9.24. 京都
江戸時代中期の思想家。石門心学の始祖。名は興長,通称は勘平,梅岩はその号。農家の次男として生れ,宝永4 (1707) 年,2度目の上京で,商家黒柳氏に奉公する。商業にたずさわるかたわら,人間の本質を求め,人の人たる道をきわめたいという念願をいだく。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石田梅岩
いしだばいがん
(1685―1744)

江戸中期の思想家で、石門(せきもん)心学の創始者。貞享(じょうきょう)2年9月15日に丹波(たんば)国桑田郡東懸(とうげ)村(現、京都府亀岡(かめおか)市)の農家石田権右衛門の二男に生まれる。母はたね。名は興長(おきなが)、通称勘平(かんぺい)。梅岩(巌)は号。11歳で京都に出て丁稚奉公(でっちぼうこう)したが、15歳で一時帰郷、23歳のときふたたび上京し、商家黒柳家に奉公した。幼年時代より理屈好きで求道的な性格をもち、人の人たる道を探求したいと願い、業務に励みながら独学で神儒仏の諸思想を研究した。35歳ごろからそれまでの自得の信念に動揺が生じ、諸方に師を求めるうち、儒仏に通じた小栗了雲(おぐりりょううん)(1668―1729)に巡り会い修行に励む。40歳のとき、いったん開悟したが、さらに1年余の修行を経て自性見識を離れた境地に達した。43歳で奉公を辞し、45歳の1729年(享保14)京都車屋町通御池上ル(おいけあがる)東側の自宅で、聴講自由で席料無料の看板を掲げて講席を開く。初期は聴講者も少なく世評も区々(まちまち)であったが、その教えは彼の誠実な人格と相まって庶民の間に信奉者を増し、弟子の手島堵庵(てじまとあん)や、堵庵門下の中沢道二(なかざわどうに)らの布教活動によって各地に広まり、その学派は石門心学とよばれ、近世思想界に大きな影響を与えた。彼は60歳の延享(えんきょう)元年9月24日、京都の堺(さかい)町通六角下ルの自宅で没し、鳥辺山(とりべやま)延年寺に埋葬された。主著は『都鄙問答(とひもんどう)』4巻、『倹約斉家論』2巻。ほかに門下生との討論をまとめた『石田先生語録』24巻、伝記として『石田先生事蹟(じせき)』などがある。
 梅岩の思想的課題は人間の「性」の本質の探求であったが、彼は朱子学に拠(よ)りながらも神儒仏老荘(ろうそう)の諸思想をも自由に取り入れるという柔軟な思考方法により、独自の人生哲学を樹立した。彼は人の「性」はみな「天」より受け得たもので「全体一箇の小天地」であり、本質的に四民(士農工商)の差別はないという。この自覚と自らの体験に基づき、商人の営利追求を賤(いや)しめ、商人を身分的にも道徳的にも劣等視するという当時の社会通念であった賤商(せんしょう)論を否定し、利潤追求を「天理」として、商人の売利は武士の俸禄(ほうろく)と同等のものと説き、商人の社会的役割の意義を積極的に肯定した。また彼は経済生活上の技術的な徳とされていた「倹約」は、日本の伝統的な主徳として尊重されてきた「正直」の徳に一致すると主張した。梅岩の思想は、道の実践における万民平等と、経済と道徳の関係についての哲学的考察を説くことにより町人の代表的哲学となった。[今井 淳]
『柴田実編『石田梅岩全集』全2巻(1972・清文堂出版) ▽柴田実著『石田梅岩』(1962/新装版・1988・吉川弘文館) ▽古田紹欽・今井淳編著『石田梅岩の思想』(1979・ぺりかん社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の石田梅岩の言及

【都鄙問答】より

…江戸時代の心学の祖石田梅岩の主著。4巻16段。…

※「石田梅岩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

石田梅岩の関連キーワードエブリマン御鍋人生哲学新文化運動哲学的友野霞舟緑化運動対応時間の法則三代制符五・四新文化運動

今日のキーワード

大統領補佐官

各種政策の立案その他に関し,側近として大統領に助言する役職だが,実質上はブレーン,顧問として多面的な役割を担う。憲法で定められた唯一の行政責任者である合衆国大統領は,強大な権力を持つにもかかわらず,議...

続きを読む

コトバンク for iPhone

石田梅岩の関連情報