日本歴史地名大系 「鶴馬村」の解説
鶴馬村
つるまむら
- 埼玉県:富士見市
- 鶴馬村
武蔵野台地北東部が、新河岸川の沖積低地に落込む辺りにあり、東境を新河岸川が南東へ流れる。南は
天正一九年(一五九一)五月多門平次(成正)は鶴間村二〇〇石を宛行われた(記録御用所本古文書)。ただし多門氏は前年天正一八年に入部したらしく、当村に陣屋を構えている(「多門館」富士見市史調査報告書一)。田園簿では田四四七石余・畑三二七石余、旗本多門氏(四〇〇石)・宮崎氏(三七五石)の二給。江戸初期に入封した宮崎氏も当村に陣屋を構えた(風土記稿)。慶安二年(一六四九)西側の武蔵野の秣場で当村が新畑を開発したとして川越藩野守に訴えられ、幕府の裁許により武蔵野の開発を停止された(「新畑論所裁許状写」横田家文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報