日本歴史地名大系 「鷲野谷村」の解説
鷲野谷村
わしのやむら
」とあり、おそらく相馬左衛門某が反尊氏方として行動したため闕所となり、一族の親胤に与えられたものと思われる。応永二年(一三九五)の追筆のある南相馬郡等田数注進状案(同文書)には「上 わしのやのむら 二十三丁八たん大」とみえる。「本土寺過去帳」には延徳五年(明応二年、一四九三)飯野尼左衛門太郎が鷲谷で討死したことがみえるが、その背景は不明。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報