鹿内信隆(読み)シカナイ ノブタカ

20世紀日本人名事典 「鹿内信隆」の解説

鹿内 信隆
シカナイ ノブタカ

昭和・平成期の実業家 元・フジサンケイグループ議長。



生年
明治44(1911)年11月17日

没年
平成2(1990)年10月28日

出生地
北海道夕張郡由仁町

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部〔昭和11年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和44年〕,イタリア共和国功労大勲士〔昭和51年〕,中華民国大綬景星勲章〔昭和52年〕,レジオン・ド・ヌール勲章コマンドール章〔昭和52年〕,南十字星勲章オフィシャル章(ブラジル)〔昭和54年〕,勲一等瑞宝章〔昭和57年〕,マスコミ功労者顕彰〔平成3年〕

経歴
倉敷レイヨン、三徳工業を経て陸軍召集、昭和18年除隊。21年日本電子工業常務、22年日経連専務理事事務局長、29年ニッポン放送専務、36年同社長、37年サンケイ新聞副社長、フジテレビ副社長、39年サンケイ新聞取締役、フジテレビ社長、40年サンケイ新聞取締役副会長、43年サンケイ新聞社長、彫刻の森美術館長、44年日本工業新聞社長、フジサンケイグループ会議議長、51年サンケイ新聞社長を歴任。60年サンケイ新聞取締役主幹、平成元年6月会長、のち取締役相談役となる。財界のマスコミ将軍として大きな影響力を持った。主な著書に「アメリカ労使関係」「いま明かす戦後秘史」「指導者カリスマの秘密」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鹿内信隆」の解説

鹿内信隆 しかない-のぶたか

1911-1990 昭和-平成時代の経営者。
明治44年11月17日生まれ。鹿内春雄の父。倉敷絹織(現クラレ)から日本電子工業にうつり,昭和21年常務。同年経済同友会創立に参加,23年日経連専務理事。29年ニッポン放送設立に参加。32年水野成夫と富士テレビジョン(現フジテレビ)を創立。のちニッポン放送,フジテレビ,産業経済新聞社の各社長をつとめる。フジサンケイグループ会議議長。平成2年10月28日死去。78歳。北海道出身。早大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鹿内信隆」の解説

鹿内 信隆 (しかない のぶたか)

生年月日:1911年11月17日
昭和時代;平成時代の実業家。サンケイ新聞社長
1990年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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