日本大百科全書(ニッポニカ) 「労使関係」の意味・わかりやすい解説
労使関係
ろうしかんけい
industrial relations
資本主義社会における資本と賃労働、資本家と労働者との基本的な矛盾・対抗関係、すなわち労資関係を、近代的な工業化された社会における労働の管理者(使用者、経営者)と労働の被管理者(労働者、従業員)との関係に置き換え、これに労使関係という概念が与えられるようになった。この用語が日本で普遍化したのは第二次世界大戦後のことである。労使関係という用語は、テーラー・システムに関する公聴会を開いたアメリカの「労使関係委員会」The United States Commission on Industrial Relations(1912~1915)に発するといわれる。だが、その源流はともあれ、労使関係という概念は、経営権という概念とともに第二次世界大戦後、労働組合運動を体制内運動として管理しようとする独占資本の意図を反映して使用され、普及され、普遍化されたといってよい。
[戸木田嘉久]
産業社会の普遍的存在
労使関係とはなにか。代表的な論者のひとりであるJ・T・ダンロップJohn Thomas Dunlop(1914―2003)は、『労使関係制度論』(原題はIndustrial Relations Systems. 初版1958年)の序文で次のように書いている。「政治形態のいかんを問わず、あらゆる産業化した社会は労働者と経営者をつくりだす。これら労働者と経営者の地位とその相互関係は、多かれ少なかれ詳細に規定されねばならなくなる。産業社会は必然的に経営者と労働者と政府機関の相互関係との複合体として規定された労使関係をつくりだす」。このように労使関係は、「産業社会」では資本主義、社会主義の区別なく普遍的に存在する。この概念のもとでは、生産手段の私的所有形態によって規定された資本主義の搾取と被搾取、支配と反抗の対立関係が、「産業化」に伴う分業に基づく機能を異にする人々の相互間の関係として把握される。
つまり労使関係という概念は、資本主義に固有な資本と賃労働との社会的関係=労資関係の本質を隠蔽(いんぺい)するものである。労資関係は、その形式からみれば、生産手段の所有者である資本家と、労働力の所有者である賃金労働者とを当事者とする、労働力商品の「自由な」売買関係にほかならない。しかし、労働者は生産手段を所有せず、したがって、自分の労働力を生産手段の所有者である資本家に販売し、賃金を取得しない限り生活できないという「経済的強制」を受けている。しかも、資本家による労働力の消費過程、すなわち資本の生産過程においては、資本家は労働者を指揮・統制し、労働者の剰余労働を搾取する。したがって、このような労資関係を労使関係という概念に置き換えることはできない。
[戸木田嘉久]
二元性と二重性
労資関係を隠蔽する労使関係論では、次のように労使関係の二元性・二重性が問題にされる。すべての労使関係の基礎をなすのは雇用という経済的関係であるが、この雇用関係には二つの関係が含まれるというのである。第一は、雇用条件の決定にかかわる関係(狭義の労使関係labour relations)である。これは資本家と賃金労働者の労働市場における労働力の売買をめぐる経済的取引関係である。それは労働組合による団体交渉の対象領域であり、労働力の取引条件をめぐる経営と労働組合の対抗を含むという意味では、両者の利害は対立する関係にある。第二は、従業関係employee relations, personnel relationsである。ここでは雇主は経営者、労働者は従業員として現れ、経営者は事業の方針、計画、統制などの担い手であり、従業員はその指示のもとでさまざまな事務や労働を行う。したがってそこでは、経営者も従業員も生産活動の担い手としてともに働く関係にあり、労使協議制によって対立関係ではなく協力関係をつくりだすこともできる、というわけである。
このように労使関係・雇用関係の二元性・二重性が説かれる意義はどにあるのか。それは第一に、労働組合を労働市場における労働力商品の取引条件の担い手と規定し、団体交渉の対象を労働力の取引条件に限定し、労働組合および団体交渉機能を企業および職場内から排除するものである。そこでは、資本の専制的支配と搾取に対する労働組合の階級的対抗関係は、団体交渉による「パイの分配」をめぐる対立に矮小(わいしょう)化される。しかも、第二に、その分配源資である「パイの増大」の問題は、労使協働の場で労使協議制によって扱われ、パイの分配を争う以前にパイの増大を図るための、労働者=労働組合と使用者の協調が期待される(労使協調主義)、というわけである。
第二次世界大戦後、労働運動は質・量にわたる発展を遂げ、労働組合の団体交渉機能は拡大され、労働組合運動の企業および職場内への浸透、企業内における労働者の権利の拡大が目だつようになった。労使関係論は、このような労資関係の深刻化に対応して、経営権の防衛を図り、労働組合を経済主義、さらには協調主義のもとに統合し、資本・賃労働関係を永続化せしめようとする独占資本のイデオロギー、および政策的提言を反映したものである。
[戸木田嘉久]
日本的労使関係
労使関係とは、広義には労働者と使用者(経営者)の間に成り立っている社会関係一般を意味するが、その中核となるのは労働組合と経営者との関係である。労働組合と経営者との関係という意味で、日本の労使関係においては、「企業別組合」の所在が着目され、さらに「終身雇用」制、「年功賃金」制と合わせて、「日本的労使関係」という特徴づけが行われてきた。
欧米の労働組合では、職業別、産業別を基本的な組織単位とし、個人加盟が建前とされてきた。これに対し、第二次世界大戦後日本の労働組合は、多くの場合に組織の基本単位が企業別、事業所別で、正規雇用従業員の一括加盟を特徴とする「企業別組合」として定着してきた。「企業別組合」は、産業別・地域別に全国的な上部団体に加盟しており、独自の規約、方針、財政、役員をもつことから、その視野は企業内に限られがちで、労働力取引の企業を超えた横断的交渉や階級的共同行動がとりにくいという組織的弱点がみられる。
第二次世界大戦後、日本の労働組合組織は、確かに事業所ごと企業別に組織されるところから出発したが、1946年8月、全日本産業別労働組合会議(略称、産別会議、結成当時156万人)の結成と指導によって、早急に産業別単一労働組合への発展を指向した。しかし、この企業別組織から産業別組織への脱皮は、官公庁労働者からのストライキ権剥奪(1948年)、レッド・パージ(1950年)、日本労働組合総評議会(略称、総評)の結成と産別会議の解体など、アメリカ占領軍と政財界一体の政策によって阻止された。その後、1960年代なかば、高度経済成長を背景とした「終身雇用」「年功賃金」の確立に支えられ、とりわけ大企業を中心に労使協調主義的な「企業別組合」が定着したといえよう。
「終身雇用」「年功賃金」「企業別組合」は、つとに日本の企業内労資関係安定の基礎とされ、1980年代には、この三つを特質とする「日本的労使関係」こそ日本企業の急成長、「経済大国」化の「原動力」「資源」などとたたえられ、国際的にも注目されてきた。しかし、1990年代に入ると、長期不況、多国籍企業による経済のグローバル化、大競争時代の到来に直面して、「日本的労使関係」も大きな転換点に立たされている。
経済的激動の時代に対処し総額人件費を節約するため、日本の大企業では、国の規制緩和政策のもとで、ME(マイクロエレクトロニクス)化、IT(情報技術)革命、そしていわゆるリストラ「合理化」を大々的に進め、なによりも正規雇用の大幅な削減、非正規雇用(パートタイム、派遣・契約社員、外部請負など)への入替え・拡大が追求されている。しかし、このいわゆる「雇用の弾力化」は、「終身雇用」「年功賃金」の解体、「企業別組合」の弱体化にもつながり、いまや「日本的労使関係」の基盤は大きく動揺しつつある。こうした条件のもとで、労資双方にとって、それぞれの立場と利害のうえに立ち、労資関係をどのように再構成するかが集眉の課題となっている。
[戸木田嘉久]
『藤林敬三著『労使関係と労使協議制』(1963・ダイヤモンド社)』▽『J・T・ダンロップ、F・H・ハービソン他著、中山伊知郎監修、川田寿訳『インダストリアリズム――工業化における経営者と労働』(1963・東洋経済新報社)』▽『木元進一郎編著『経営会計全書9 労使関係論』(1976・日本評論社)』▽『OECD編、日本労働協会訳編『労使関係制度の展開――日本の経験の意味するもの』(1977・日本労働協会)』▽『長谷川広編『現代日本企業と労使関係』(1981・労働旬報社)』▽『木元進一郎監修、労働運動総合研究所編『動揺する「日本的労使関係」』(1995・新日本出版社)』▽『相沢与一・黒田兼一監修『グローバリゼーションと「日本的労使関係」』(2000・新日本出版社)』▽『白井泰四郎著『企業別組合』増訂版(中公新書)』