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鹿子木量平 かのこぎ りょうへい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鹿子木量平 かのこぎ-りょうへい

1753-1841 江戸時代後期の開拓者。
宝暦3年生まれ。肥後(熊本県)八代郡野津,高田の惣庄屋。文化5年(1808)高島新田を開拓。さらに大牟田沖墾田新築掛,高島新田監督となり,海をうめたてて約700haの新田を開発した。天保(てんぽう)12年7月4日死去。89歳。名は惟善。字(あざな)は伯祥。

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朝日日本歴史人物事典の解説

鹿子木量平

没年:天保12.7.4(1841.8.20)
生年:宝暦3(1753)
江戸後期の干拓指導者。熊本藩士。肥後国(熊本県)飽田郡鹿子木村庄屋弥左衛門の子。名は維善,通称幸平のち量平。鹿子木村相符役(年貢納入責任者),鹿子木村・西梶尾村庄屋となる。寛政4(1792)年雲仙眉山崩壊による有明海の津波の後片付けに出精し,翌5年地士に召し出され,飽田・託麻郡代手付横目となり,同8年熊本の大水害には率先して救助に当たった。この功が認められて,9年下益城郡杉島手永惣庄屋に登用されて村人の零落救済に当たり,水利改善などにより生産を向上させた。以後八代郡野津,高田手永,飽田郡五町手永惣庄屋を歴任,八代海の百町・四百町・七百町新地築造に尽力して新地100石の知行取に登用され郡吟味役となった。<参考文献>武藤厳男『肥後先哲偉蹟』

(松本寿三郎)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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