日本歴史地名大系 「鹿室村」の解説 鹿室村かなむろむら 埼玉県:岩槻市鹿室村[現在地名]岩槻市鹿室裏慈恩寺(うらじおんじ)村の北に位置し、元荒川支流の日(につ)川に臨む慈恩寺台地上に集落が形成されている。日光御成道が通る。宝暦六年(一七五六)まで岩槻藩領、以後の領主の変遷は相野原(あいのはら)村に同じ。田園簿に村名がみえ、高は田方一四石余・畑方一四八石余。延宝八年(一六八〇)の岩付領内村名石高家数人数寄帳(吉田家文書)によると家数二六(本百姓二〇・水呑五・寺一)、人数二一二、岩槻藩の地方支配は高岩(たかいわ)筋所属。貞享三年(一六八六)の岩槻藩領郷村高帳では高一七一石余、ほかに新田高四石余、小物成は野銭永四貫六一七文、見取田畑二町二反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報