鹿越城跡
かなごえじようあと
日出町と山香町の境にある鹿鳴越山塊の日出町側にあった戦国期の城。豊岡の字に古城・城ヶ尾・大堀があり、遺称地と考えられる。日出から立石(現山香町)、豊前宇佐を経て中津に抜ける街道上にあった。文明年間(一四六九―八七)に大友親繁の築城という(速見郡史)が、裏付け史料はない。年未詳八月一一日の田北親幸宛大友親治書状案(大友家文書録)に「鹿越城衆年来辛労之段、悦喜申候」とあるのが、城名がみえる早い例である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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