鹿集庄(読み)かたかりのしよう

日本歴史地名大系 「鹿集庄」の解説

鹿集庄
かたかりのしよう

現市島町中央を流れる竹田たけだ川流域にあったと考えられる庄園。文和二年(一三五三)一〇月一七日の室町幕府引付頭人奉書(仁和寺文書)にみえ、当時京都仁和寺大教院領であった。雑掌盛円が地頭吉見三郎とその一族濫妨を訴え、幕府は当庄の半分は雑掌が所務を全うするように守護に命じている。これ以外には史料を欠き当庄の詳しい事情は不明であるが、吉見よしみ庄とも称したらしい(丹波志)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む