日本歴史地名大系 「黄和田村」の解説 黄和田村きわだむら 滋賀県:神崎郡永源寺町黄和田村[現在地名]永源寺町黄和田政所畑(まんどころはた)村の南東にある。北から流下する茶屋(ちやや)川が南方で神崎川と合流、愛知(えち)川となって北西へ流れる。蘗(きはだ)村・蘗畑(きばた)村・木畑(きばた)村などとも称され、片瀬(かたせ)・皆瀬(みなせ)の枝郷がある。南を八風(はつぷう)街道が通り、片瀬には茶屋が設けられていた。「蔭涼軒日録」長享二年(一四八八)八月七日条によれば、同月四日夜京極高清に敗れ出奔した京極政経は「伊勢之堺黄壁ハタト云所迄北走」したという。大永七年(一五二七)九月二八日の大善(だいぜん)寺の寺地売券(大善寺文書)に蘗畑村とみえる。元亀三年(一五七二)当地は同年のささ板分を炭算用で納入しており(同年一二月二六日「皆済状」黄和田共有文書)、同年分の山手銭未進分一石八斗余のうち一石二斗余は天正二年(一五七四)正月中に納めることとされた(同元年一二月二四日「惣分未進山手銭請文」同文書)。そのほか黄和田共有文書中には元亀―天正頃の炭をはじめささ板・葺板・大鋸板など材木の請取状が数多く残されている。慶長六年(一六〇一)以降の領主は高野(たかの)村と同じ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by