朝日日本歴史人物事典 「京極政経」の解説
京極政経
生年:享徳2(1453)
室町時代の守護大名。持清の第2子。初名は政高。兄勝秀が早世したため,その子孫童子の後見役となったが,孫童子も幼少にて亡くなったため,京極家12代の家督を継ぐこととなった。父持清はその卓越した政治力をいかんなく発揮し,これによって京極家は隆盛をみたが,政経の代になると一族の内訌は頂点に達した。特に兄勝秀の第2子高清(秀綱)との確執と重臣多賀氏の分裂は,折からの応仁の乱(1467~77)にあって,同家が東西両軍に分かれて争う原因となった。京極家の凋落は,家臣浅井氏の台頭を許すことになり,隠岐,飛騨とともに守護を務めていた出雲では,一族の守護代尼子氏の台頭をも許すこととなった。<参考文献>『東浅井郡志』1巻
(宇野日出生)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報