日本歴史地名大系 「黄柳村」の解説 黄柳村つげむら 愛知県:南設楽郡鳳来町黄柳村[現在地名]鳳来町黄柳野(つげの)現町域の最南端にあり、富幕(とんまく)山・福津(ふくづ)山・吉川(よしかわ)山が東・南・西の三方を囲み、緩やかに傾斜して、標高二〇〇メートルの北向きの盆地をつくる。ここを源とする黄柳川は、北に向かい、左折して三輪(みわ)川に注ぐ。富幕山の北側斜面は甚古(じんご)山といい、中腹以上は現在国有林。中腹以下は民有林でツゲが自生する。当村の手塚氏は、手塚幸治氏蔵文書によると、寿永二年(一一八三)斎藤別当実盛を討った手塚大郎光盛の子孫といわれる。応仁(一四六七―六九)の頃この地に来て甚古山に館を構えた。手塚の古屋敷という。子孫の伝三郎直守は、寛永一三年(一六三六)安部摂津守信盛に仕え、二〇〇石を与えられたという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by