黒岩城跡(読み)くろいわじようあと

日本歴史地名大系 「黒岩城跡」の解説

黒岩城跡
くろいわじようあと

[現在地名]佐川町黒原

戦国時代、高岡・吾川あがわ両郡北部地方の領主であった片岡氏の居城跡。現佐川町域北限にある行司ぎようじヶ岳の南麓に接続する河岸段丘上にあり、黒岩中学校の北側に石塁の一部が残る。天正一八年(一五九〇)の黒岩村地検帳に「黒岩古城詰門外小タン共ニ」として、すでに廃城化した下屋敷一反一七代余が記される。近接して「古弓場」「サヱン所」「観音堂寺中」「(黒岩古城)北ウラホリ」「城東ノ下ホリ」「二ノ塀」などの記載もある。検地段階の当主居館「御土居」は窪地を隔てた東方にあり、「ナカタノ土居」「西土居」「大平土居」などこれを囲繞するように片岡家臣団が居住していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む