黒沢兼次郎(読み)クロサワ ケンジロウ

20世紀日本人名事典 「黒沢兼次郎」の解説

黒沢 兼次郎
クロサワ ケンジロウ

明治〜昭和期の大陸浪人



生年
明治8年(1875年)

没年
昭和2(1927)年3月31日

出身地
富山県富山市

学歴〔年〕
東京外国語学校(現・東京外国語大学)卒

経歴
大蔵省勤務となり、袁世凱の財政顧問・佃一予に従い中国に渡る。日露戦争では陸軍の特別任務班に属し、のち通訳として張作霜の監視に当たる。その後、天津で燐寸会社を起こし事業に従事、同地の居留民団理事、居留民会議長、日本人商業会議所嘱託などを務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢兼次郎」の解説

黒沢兼次郎 くろさわ-けんじろう

1875-1927 明治-昭和時代前期の大陸浪人。
明治8年生まれ。袁世凱(えん-せいがい)の財政顧問佃一予(つくだ-かずまさ)にしたがい,中国にわたる。日露戦争では陸軍の特別任務班に属し,のち通訳として張作霖(ちょう-さくりん)の監視にあたる。戦後,天津で事業をおこした。昭和2年3月31日死去。53歳。富山県出身。東京外国語学校(現東京外大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

ドクターイエロー

《〈和〉doctor+yellow》新幹線の区間を走行しながら線路状態などを点検する車両。監視カメラやレーザー式センサーを備え、時速250キロ以上で走行することができる。名称は、車体が黄色(イエロー)...

ドクターイエローの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android