20世紀日本人名事典 「佃一予」の解説
佃 一予
ツクダ カズマサ
- 生年
- 元治1年7月12日(1864年)
- 没年
- 大正14(1925)年3月14日
- 出生地
- 伊予国松山(愛媛県)
- 旧姓(旧名)
- 山路
- 学歴〔年〕
- 帝国大学法科〔明治23年〕卒
- 経歴
- 伊予松山藩士・山路一審の二男に生まれ、同藩・佃家に養われてのち家督を継ぐ。明治14年松山中学を終え、政治家を志し上京。常盤会寄宿舎に入り、帝大法科を卒業する23年まで舎監を務める。硬骨漢で大の文学嫌いとして知られ、当時舎生・正岡子規らの文学活動に批判攻撃を加えた。大学卒業後、内務省に入り、広島県・栃木県の参事官を務める。のち大蔵省参事官となり、松方正義首相の秘書官を務めた後、大阪税関長に転じ、神戸税関長を兼任するが、まもなく児玉源太郎陸相の要請で陸軍省参事官となり経理事務の改革に貢献する。更に児玉の推薦で、35年から5年間清(中国)直隷総督・袁世凱の財政顧問を務め、独自の創案に基づいて財政刷新に努力した。日露戦争の際、日清の協同工作に尽くす。39年帰国して日本興業銀行初代副総裁となり、大正2年南満州鉄道理事に転じ、在任中に鞍山製鉄所の創設に尽力。6年任期が満ちて東京に帰り報徳銀行頭取に就任したが、第1次世界大戦後の反動時代に入り同銀行は破綻、私財を投げ出して責任を負い預金者の救済に苦心する中、病を得、14年没した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報