黒田 雅子
クロダ マサコ
昭和期の女性 エチオピア皇太子妃候補。
- 生年
- 明治45(1912)年9月25日
- 没年
- 平成1(1989)年1月28日
- 学歴〔年〕
- 関東高女〔昭和4年〕卒
- 経歴
- 千葉県の旧久留里藩主・黒田広志子爵の次女。昭和8年5月朝日新聞の「エチオピア皇帝のいとこリジ・アリア・アベベ殿下が日本女性を妃に望んでいる」との報道に、応募者350人の中から第1候補に選ばれるが、イタリアの干渉や宮内省の消極的態度のため辞退。幻の皇太子妃候補となった。10年にもモンゴル王子との結婚話が伝えられるが11年日本人のエンジニアと結婚。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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黒田雅子 くろだ-まさこ
1912-1989 昭和時代の女性。
大正元年9月25日生まれ。もと上総(かずさ)(千葉県)久留里(くるり)藩主で子爵の黒田広志の次女。昭和8年に「エチオピア皇帝の従弟が妃に日本人を希望」との新聞記事をよみ,応募する。第1候補となったが,同国に権益をもつイタリアの妨害もあって辞退。のち米倉冬彦と結婚。平成元年1月28日死去。76歳。関東高女卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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