黒百人組(読み)くろひゃくにんぐみ(英語表記)chyornaya sotnya

改訂新版 世界大百科事典 「黒百人組」の意味・わかりやすい解説

黒百人組 (くろひゃくにんぐみ)
chyornaya sotnya

20世紀の帝政ロシアに存在したいくつかの右翼反動団体総称chernosotentsyともいう。20世紀に入るとロシア社会が動きだし,学生,労働者,農民などによるデモンストレーションストライキ一揆が頻発するようになり,革命政党,自由主義者もその活動を強めていた。これらの動きを伝統への挑戦,体制の危機とうけとった保守派は,それに対抗する動きを強化した。反動的な地主商人,聖職者などによっていくつかの右翼団体が組織された。なかでも1905年10月に結成された〈ロシア国民同盟Soyuz russkogo naroda〉はもっとも有力なもので,政府筋のひそかな支援をうけて,秩序と平和,ツァーリへの忠誠を鼓吹し,インテリゲンチャ,ユダヤ人を攻撃する新聞,パンフレットを刊行し,ロシア各地に支部をもっていたが,それほど多数のメンバーを擁していたわけではない。しかし,その過激な言動は保守的な心情をもつ一部の民衆ひきつけ,ユダヤ人迫害(ポグロム)などをひきおこす引金となる場合が多かった。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「黒百人組」の意味・わかりやすい解説

黒百人組
くろひゃくにんぐみ
Chërnaya sotnya; Black Hundreds

黒色百人組とも呼ばれる。帝政ロシア末期の極右的,暴力的な団体の総称。 1905年の革命期に都市の小経営者などによって組織され,反動的な支配層に指導されて,革命運動,労働運動などへの弾圧テロ,ユダヤ人虐待などを行なった。 (→ポグロム )  

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