一分村(読み)いちぶむら

日本歴史地名大系 「一分村」の解説

一分村
いちぶむら

[現在地名]久美浜町字壱分いちぶ

佐濃谷さのだに川の中流部西側山麓に位置する。西の本谷ほんだに(永留村のうち)集落を経て永留ながどめ村に至り、佐濃谷川に沿って南は女布によう村、北は大井おおい村に通じる。小字つかたに付近を中心にして古墳が分布する。

中世末の丹後国御檀家帳に「一ふんかた 一宮御一家也上野治部太輔殿」と記される。近世に入ると慶長検地郷村帳に高六七六・七六石「一分村」とみえるが、延宝三年郷村帳では一分村に含んでいた大井おおい分が個別に高付されたため、高三八七・〇八五石となった。延宝九年(一六八一)延高で四五七石余と増加(天和元年宮津領村高帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報