上田 万秋(読み)ウエダ バンシュウ

20世紀日本人名事典 「上田 万秋」の解説

上田 万秋
ウエダ バンシュウ

明治〜昭和期の日本画家



生年
明治2年8月15日(1869年)

没年
昭和27(1952)年12月15日

出生地
京都府

本名
上田 巳之太郎

別名
別号=柳外

学歴〔年〕
京都府画学校東宗画科〔明治20年〕卒

経歴
今尾景年に花鳥画を学ぶ。明治33年京都美術協会創立10周年展で3等、また新古今美術展で受賞を重ねる。36年内国勧業博で3等、37年セントルイス万博で「花鳥」が銀賞、38年ベルギー・リエージュ博で金牌を受賞。文展開設後、40年「冬の日」が入選、41年「閑庭」、大正4年「光風霽月図」がともに3等賞、明治43年「逢坂山の逕」が褒状を受けた。花木花鳥画をよくし、大正8年日本自由画壇結成に参加、同人として活躍し、のち新文展に出品した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上田 万秋」の解説

上田万秋 うえだ-ばんしゅう

1869-1952 明治-昭和時代の日本画家。
明治2年8月15日生まれ。今尾景年に師事。明治36年の内国勧業博覧会などに出品したのち,文展で第1回展から活躍。花鳥画を得意とした。大正8年日本自由画壇結成に参加。昭和27年12月15日死去。83歳。京都出身。京都府画学校卒。本名は巳之太郎。号は「まんしゅう」ともよむ。作品に「冬の日」「閑庭」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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