八対野庄(読み)はつたいののしよう

日本歴史地名大系 「八対野庄」の解説

八対野庄
はつたいののしよう

八対野一帯から布引ぬのびき山地東麓丘陵地帯を含む地域に成立した荘園。成立年代不明。南北朝時代は熊野那智くまのなち神社領であった。応安五年(一三七二)一二月二日の権少僧都泰禅荒野宛行状(那智山実方院文書)に、

<資料は省略されています>

とあり、村松大弐律師をもって布引山地の開発を進めようとしていることが注目される。康暦元年(一三七九)一一月一三日の性周禅尼寄進状(熊野那智大社文書)に、「一所上村 分米参石下地字松垣内 鶴松丸寄進申、是ハ十三所并如意輪堂・滝本千手堂御鏡大餅料田也」「一所下村 分米弐石下地也字鶴石田岡崎 千松丸寄進申、是ハ毎年正月十一日千尼読経料田也」とあり、上村・下村の地を文中元年(一三七二)七月一八日の千松丸・鶴松丸の寄進状に基づいて同社に寄進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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