大島 道太郎(読み)オオシマ ミチタロウ

20世紀日本人名事典 「大島 道太郎」の解説

大島 道太郎
オオシマ ミチタロウ

明治期の採鉱冶金技術者 東京帝大工科大学教授;漢冶萍煤鉄公司最高顧問技師。



生年
万延1年6月18日(1860年)

没年
大正10(1921)年10月11日

出生地
陸奥国盛岡(岩手県盛岡市)

学歴〔年〕
東京大学採鉱冶金学科〔明治10年〕卒,フライベルク鉱山大学〔明治14年〕卒

学位〔年〕
工学博士〔明治24年〕

経歴
わが国における近代製鉄技術の父として知られる大島高任長男。明治3年大学南校に入学、10年東京大学採鉱冶金学科を卒業してドイツに留学。14年フライベルク鉱山大学を卒業。15年帰国して東北地方の鉱山の技術近代化に尽力。23年宮内省御料局生野鉱山技師となり、24年附属大阪製錬所所長を兼任。29年八幡製鉄所技監、32年技師長兼工務部長としてドイツに範をとり、同製鉄所の創業を指導した。41年東京帝大工科大学教授。大正3年中国の漢冶萍煤鉄公司の最高顧問技師に就任、技術指導に努めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島 道太郎」の解説

大島道太郎 おおしま-みちたろう

1860-1921 明治-大正時代の金属工学者。
万延元年6月18日生まれ。大島高任(たかとう)の長男。ドイツに留学後,東北各地の鉱山開発に従事し,生野(いくの)鉱山技師,大阪製煉所所長を歴任。農商務省製鉄所技監として八幡製鉄所の創業につくす。明治41年東京帝大教授。大正10年10月5日死去。62歳。陸奥(むつ)盛岡出身。東京大学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「大島 道太郎」の解説

大島 道太郎 (おおしま みちたろう)

生年月日:1860年6月18日
明治時代の採鉱冶金技師。東京帝国大学教授
1921年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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