岩淵 謙一(読み)イワブチ ケンイチ

20世紀日本人名事典 「岩淵 謙一」の解説

岩淵 謙一
イワブチ ケンイチ

大正・昭和期の社会運動家,医師 青森県協同組合連合会会長。



生年
明治29(1896)年10月22日

没年
昭和34(1959)年11月11日

出生地
北海道石狩郡当別村

出身地
青森県西津軽郡車力村

学歴〔年〕
東京医専(現・日本医科大学)〔大正9年〕卒

経歴
車力村村医の父の跡を継ぎ、大正10年2代目村医となる。困窮農民の診療にあたるなかで、13年青森県初の農民組合・車力小作組合を結成。このため、昭和2年に村を追放され、八戸移住。4年全国大衆党の協力を得て八戸で無産者診療所と育児調節相談所を開設した。“赤い医者”とマークされ、10年“農民赤化暴動事件”として検挙、翌年診療所閉鎖を条件に釈放される。戦後は20年日本社会党の結成に参加し、青森県協同組合連合会長となった。21年県地方労働委員会副委員長に就任、23年社会党県本部執行委員長となる。33年離党。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩淵 謙一」の解説

岩淵謙一 いわぶち-けんいち

1896-1959 大正-昭和時代の農民運動家,医師。
明治29年10月22日生まれ。大正9年日本医専(現日本医大)卒業後,郷里の青森県車力村で開業。13年同村に弟岩淵謙二郎らと県下初の農民組合を組織し,小作争議指導。昭和5年八戸市に無産者診療所を開設した。10年凶作にくるしむ農民救済のデモを計画したが,検挙・投獄された。23年社会党県連委員長。昭和34年11月11日死去。63歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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