藤井 善助(読み)フジイ ゼンスケ

20世紀日本人名事典 「藤井 善助」の解説

藤井 善助
フジイ ゼンスケ

明治〜昭和期の実業家 衆院議員(国民党);京都有鄰館長。



生年
明治6年3月8日(1873年)

没年
昭和18(1943)年1月14日

出生地
滋賀県

学歴〔年〕
京都府立商業卒

経歴
商業学校を卒業して上海日進貿易研究所に学ぶ。農業・貿易商・織物商などを営み、大阪金巾製鉄、江商(のちの兼松工商)、山陽紡績などの創立に加わり役員を務める。また天満織物・日本共立生命・関西倉庫・湖南鉄道・近江倉庫・大津電車軌道・日新電機・日本メリヤス・琵琶湖ホテルの各社長に就任。その他、多数の会社の重役を務めた。この間、明治37年に生地・滋賀県北五個荘村の村長となり、神崎郡立実業学校を創立。滋賀県農会会長も務める。41年衆院議員(国民党)に当選、3期務める。ローマで開催の第17回列国会議同盟会議に派遣された。育英事業、社会事業、司法保護事業などに尽力し、実業界・政界で活躍すると共に、私立の天体観測所や東洋美術館を創設し、中国古美術収集家としても知られ、コレクションは京都市にある・藤井有鄰館に展示されている。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤井 善助」の解説

藤井善助 ふじい-ぜんすけ

1873-1943 明治-昭和時代前期の実業家,政治家。
明治6年3月8日生まれ。大阪金巾(カナキン)製織,江商(ごうしょう)(のち兼松江商),山陽紡績などの創立にくわわり役員をつとめる。この間,明治37年に生地滋賀県北五個荘(きたごかしょう)村の村長となり,神崎郡立実業学校を創立。41年衆議院議員(当選3回,国民党)。中国古美術収集家としても知られ,コレクションは藤井有鄰館(ゆうりんかん)(京都市)に展示されている。昭和18年1月14日死去。71歳。京都府立商業卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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