ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ローマ」の意味・わかりやすい解説
ローマ
Roma
ローマ
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[ローマ理念の形成]
ローマ理念の起源はローマ共和政末期にまでさかのぼる。すでに前2世紀,ローマの版図下に入った諸地方で,都市ローマを神格化した女神ローマRomaの礼拝が始まった。一方,ローマの支配の拡大と共和政末期の混乱は,ローマ人自身の間に没落観を生み出していた。…
…正式名称=イタリア共和国Repubblica Italiana面積=30万1225km2人口(1996)=5746万0274人首都=ローマRoma(日本との時差=-8時間)主要言語=イタリア語通貨=リラLira長靴形に地中海に突出した半島を主体とする共和国。北はアルプスを境としてフランス,スイス,オーストリアに接し,東は地続きのユーゴスラビアとともにアドリア海を抱き,西はティレニア海に臨む。…
…【嶋田 襄平】
[キリスト教]
キリスト教文化圏では,巡礼とはいっても歴訪や巡回が意図されたのではなく,特定霊場をめざしたので,途上の諸霊場参詣はあくまでも副次的であった。エルサレム,使徒ペテロおよびパウロ以下おびただしい殉教者の墓のあるローマ,そしてイベリア半島北西端のサンチアゴ・デ・コンポステラが三大巡礼地であった。僧侶や学者は別として,一般人がエルサレム巡礼に出る風潮は4世紀ごろに始まったらしい。…
…類語として専制政治despotism,オートクラシーautocracy,暴政・僭主政tyrannyなどがあり,日本語の独裁はこれらの意味を含み,despotism,autocracy,tyranny等も独裁と訳される場合がある。政治学用語としては,専制政治が少数者の恣意にもとづく政治であるのに対して独裁は大衆の支持ないし参加を背景にもつものとして,オートクラシーが立憲制や権力分立に対置される統治方法概念であるのに対して独裁は自由主義や民主主義と対置される体制概念であるとして,また,僭主政がアリストテレスなどにおいて君主政に対比され,その堕落形態とされるのに対して独裁は古代ローマに発し現代にいたるさまざまな政治体制に適用可能であるとして,区別される場合がある。しかし,これらの区別自体も学説的に分かれるところであり(とくに専制政治との区別),これを論じた書物も数多い。…
…リソルジメントとはもともと〈再興〉〈復興〉の意味で,18~19世紀の思想家や運動家によって諸改革の課題が,沈滞しているイタリアに再び過去の繁栄をよみがえらせる課題,つまりリソルジメントとして自覚され,その名において運動が進められたことに由来する。当時において再興すべき過去の繁栄とは,古代ローマ時代よりもむしろ中世のコムーネ時代が意識されていた。
[自由,独立,統一]
リソルジメントの過程は長期にわたっており,その間に状況の推移があるが,運動の推進者によって目標とされたのは自由,独立,統一ということであった。…
…古代ギリシア人はまことに多彩な神話を繰り広げてみせたが,何事につけ彼らと並び称されるローマ人は,神話を〈宇宙の生成と神々についての物語〉と狭く定義するならば,固有の神話といえるものをほとんど残していない。
[ローマの古神格]
しかし,キケロの有名な言葉に〈われわれは諸芸術についてはギリシア人に所詮かなわない。…
…ローマ帝国の母体である都市ローマを抽象化し,ローマの名に普遍的支配や永遠性,文明と秩序の象徴をみる思想。
[ローマ理念の形成]
ローマ理念の起源はローマ共和政末期にまでさかのぼる。…
…前753年にローマを創建したとされる伝説上の王。伝承によれば,アルバ王ヌミトルNumitorは弟アムリウスAmuliusに王位を奪われ,王女レア・シルウィアRhea Silviaから生まれた双生児,すなわちロムルスとレムスRemusは川に流された。…
※「ローマ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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