貝島 太市(読み)カイジマ タイチ

20世紀日本人名事典 「貝島 太市」の解説

貝島 太市
カイジマ タイチ

大正・昭和期の実業家,炭鉱事業家 日本石炭鉱業会会長。



生年
明治13(1880)年11月3日

没年
昭和41(1966)年8月28日

出生地
福岡県遠賀郡

学歴〔年〕
東京高商〔明治36年〕卒

経歴
三井物産に勤務。明治39年アメリカ遊学後、家業の炭鉱業に従事。大正5年父の死後、貝島家の総帥となり、貝島合名、貝島商業を設立。9年三井物産から営業権を奪回、石炭の直接販売を開始、関連事業多角化を進めたが、昭和初期の不況で石炭業に専心した。戦前戦後を通じ石炭鉱業連合会理事、筑豊石炭鉱業組合総長、日本石炭鉱業会会長を歴任した。昭和2年には義兄鮎川義介の久原鉱業再建を援助、日産コンツェルン形成の力となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「貝島 太市」の解説

貝島太市 かいじま-たいち

1880-1966 大正-昭和時代の経営者
明治13年11月3日生まれ。貝島太助の5男。鮎川(あゆかわ)義介の義弟。父の創業した貝島炭鉱にはいり,大正5年から貝島家の総帥として石炭の直接販売制や石炭関連事業を推進した。日本石炭鉱業会会長。昭和41年8月28日死去。85歳。福岡県出身。東京高商(現一橋大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例