貝島 太助
カイジマ タスケ
明治・大正期の実業家,炭鉱事業家 貝島炭礦創業者。
- 生年
- 弘化2年1月11日(1845年)
- 没年
- 大正5(1916)年11月1日
- 出生地
- 筑前国鞍手郡直方(福岡県直方市)
- 経歴
- 炭坑夫の長男として生まれ、8歳から鞍手郡新入炭鉱で炭坑労働に従事。明治元年以来炭鉱経営を手がけ、幾度の失敗を経たのち、西南戦争の際巨利を博し、17年大之浦炭鉱を入手、やがて約60万坪の炭田を獲得した。23年井上馨の知遇を得、以後その援助を受ける。日清戦争時の炭価暴騰によって事業は躍進し、この頃の開発炭区は約290万坪、未掘鉱区約135万坪、炭坑夫約7300名といわれた。31年貝島礦業合名会社(のちの貝島炭礦株式会社)を設立し、社長に就任。36年には鉱区922万坪、年産60万トンの筑豊一の炭鉱王となる。なお太助死後も貝島家の経営は5男太市に引き継がれ、第1次世界大戦を通じて発展、大戦後貝島合名と改称、炭鉱・商業などの諸会社を設立した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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貝島太助
かいじまたすけ
(1844―1916)
明治・大正期の炭鉱企業家。筑前(ちくぜん)(福岡県)直方(のおがた)に生まれる。幼名留吉。坑夫より身をおこし、やがて棟領として頭角を現す。その後、炭鉱経営に着手。激しい浮沈を重ね、巨額の債務に苦しんだが、井上馨(かおる)の知遇を得、その援助の下に辣腕(らつわん)を振るい、筑豊第一の土着鉱業家に成長した立志伝中の人物。大之浦、菅牟田(すがむた)、大辻(おおつじ)などの有力炭鉱を次々と入手。事業の拡大に伴い1898年(明治31)貝島鉱業合名会社を設立した(1909年株式会社に改組)。筑豊御三家と称され、また炭鉱王ともいわれたが、三井物産に久しく一手販売権を掌握されていた。その解消は、太助の死後1920年(大正9)のことであった。
[畠山秀樹]
『高橋光威著『貝島太助翁の成功談 炭鉱王』(1903・博文館)』▽『大辻炭鉱株式会社編・刊『大辻炭鉱七十年史(稿本)』(1954)』▽『『貝島家文書』(九州大学所蔵)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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貝島太助 かいじま-たすけ
1844-1916 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)15年1月11日生まれ。明治3年炭鉱事業に従事。西南戦争で巨利をえて17年大之浦炭鉱を入手。のち井上馨(かおる)の援助を得,日清(にっしん)戦争を契機に事業をひろげ31年貝島鉱業合名を設立,貝島炭鉱の基礎をきずいた。大正5年11月1日死去。73歳。筑前(ちくぜん)(福岡県)出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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貝島 太助 (かいじま たすけ)
生年月日:1845年1月11日
明治時代;大正時代の実業家;炭鉱事業家。貝島砿業合名社長
1916年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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