黒石陣屋跡(読み)くろいしじんやあと

日本歴史地名大系 「黒石陣屋跡」の解説

黒石陣屋跡
くろいしじんやあと

[現在地名]黒石市内町

城下町の西南にあり、南側は崖でその下をさかい堰・小阿弥こあみ堰が流れる。陣屋の総面積は三千八六六坪で、後の黒石小学校・新坂しんさか通・御幸みゆき公園・警察署などを含む一帯である(烏城志)。妙経寺記録(黒石地方誌)に「明暦二丙申年、平内黒石屋形御取立、地祭祈祷従信英公蒙貴命、日饒執行」とあり、陣屋は明暦二年(一六五六)津軽信英分知の際に築造された。享保(一七一六―三六)頃の黒石府家之図(浅瀬石川郷土誌)によれば、陣屋は御殿・台所を中心に、東に津軽信英の霊廟・大鼓矢倉、西に稲荷宮・御蔵、南に柵立・塩硝蔵がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報