5段階教授法(読み)ごだんかいきょうじゅほう(英語表記)Formalstufen des Unterrichts

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「5段階教授法」の意味・わかりやすい解説

5段階教授法
ごだんかいきょうじゅほう
Formalstufen des Unterrichts

教授の形式的段階」を明治中期からの日本ではこう呼ぶ。 J.ヘルバルトの4段階説をもとに弟子の J.チラーが唱えたもので,教授学習過程は,分析,総合,連合系統,方法の5段階を経て成立するというもの。 W.ラインはさらにこれを改良して,予備提示,比較,総括応用の5段階とした。その後アメリカの C.マクマリー,F.マクマリー,H.モリソンらがこの説を継承した。日本では明治 20年代後期に谷本富らによって紹介され,ラインに直接学んで帰朝した波多野貞之助の指導のもとで,全国的に普及し,基準的な教授形式として定着した。

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世界大百科事典(旧版)内の5段階教授法の言及

【教育学】より

…教員養成課程に教育学が位置づけられたほか,帝国大学では1887年,ヘルバルト学派のW.ラインの弟子であるドイツ人E.ハウスクネヒトを招いて教育学の講義を開いた。以後,彼の門下生たちの手で,ヘルバルトの教育学説そのものの積極的な検討・継承よりも,ヘルバルト学派の5段階教授法(予備,提示,比較,総括,応用)の普及がすすめられた。 20世紀とくに1910年代に入ってからは,欧米の新教育運動に刺激され,ヘルバルトは時代遅れとされ,デューイをはじめ,パーカーFrancis Wayland Parker(1837‐1902),E.ケイ,モイマンErnst Meumann(1862‐1915)らの新教育を支えた理論の紹介がさかんに行われ,これが日本の新教育運動を促進するという役割を果たした。…

【ヘルバルト】より

…ドイツの哲学者,教育学者。オルデンブルクの名家に生まれ,ギムナジウム時代に早くも学問上の天分をあらわした。イェーナ大学ではとくにフィヒテの影響を受け,1797年大学を卒業すると2年半ほどスイスのシュタイガー家の家庭教師をつとめたが,そのときの教育経験は後の教育学理論形成の基礎となった。この間,ブルクドルフにペスタロッチを訪ね,触発された。1802年に26歳でゲッティンゲン大学の講師となり,06年には教育学上の主著《一般教育学》を公刊した。…

※「5段階教授法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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