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ヘルバルト Herbart, Johann Friedrich

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ヘルバルト
Herbart, Johann Friedrich

[生]1776.5.4. オルデンブルク
[没]1841.8.14. ゲッティンゲン
ドイツの哲学者,教育学者,心理学者。 1797年イェナ大学を卒業,1802年ゲッティンゲン大学講師,08年ケーニヒスベルク大学教授,33年ゲッティンゲン大学教授。最大の功績は教育学を体系化したことにあり,その教育思想,教育法はヘルバルト学派によって世界的に拡大普及された。彼は教育学の基礎を倫理学心理学におき,教育の最高目的を徳性の涵養にあるとし,教育の作用を管理,教授,訓練の3つに分けた。明瞭,連合,系統,方法の4段階による教授を唱えたが,後継者による5段階教授法が各国に普及した。主著『一般教育学』 Allgemeine Pädagogik (1806) ,『教育学講義綱要』 Umriss pädagogischer Vorlesungen (35)など。

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デジタル大辞泉の解説

ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart)

[1776~1841]ドイツ哲学者・教育学者。教育の目的を倫理学に、方法を心理学に求めて、科学的な教育学を樹立。段階的教授課程論を提唱。著「教育学講義綱要」など。

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百科事典マイペディアの解説

ヘルバルト

ドイツの哲学者,教育学者。ケーニヒスベルク大学等の教授。教育の目的は倫理学から,教育の方法は心理学から導かれるとして教育学の体系化を追求。独自の実在論に立つ認識論・心理学を精密な教授過程論へと結実させ,それは彼の名を冠した学派の人々によって五段教授法へと展開された。
→関連項目谷本富

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世界大百科事典 第2版の解説

ヘルバルト【Johann Friedrich Herbart】

1776‐1841
ドイツの哲学者,教育学者。オルデンブルクの名家に生まれ,ギムナジウム時代に早くも学問上の天分をあらわした。イェーナ大学ではとくにフィヒテの影響を受け,1797年大学を卒業すると2年半ほどスイスのシュタイガー家の家庭教師をつとめたが,そのときの教育経験は後の教育学理論形成の基礎となった。この間,ブルクドルフにペスタロッチを訪ね,触発された。1802年に26歳でゲッティンゲン大学の講師となり,06年には教育学上の主著《一般教育学》を公刊した。

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大辞林 第三版の解説

ヘルバルト【Johann Friedrich Herbart】

1776~1841) ドイツの教育学者・哲学者。教育の目的を倫理におき、教授法を段階づけるなど体系的教育を確立した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ヘルバルト
へるばると
Johann Friedrich Herbart
(1776―1841)

ドイツの哲学者、教育学者。オルデンブルクに生まれ、家庭教師ユルツェルの教育下に幼少時より哲学への関心を抱く。クルーゼの私塾で自然科学を学び(1785~1786)、ギムナジウム在学中に人間の意志の自由に関する論文を書き(1790)、卒業生代表として「国家において道徳の向上と堕落を招来する一般的原因について」の演説を行う(1793)など、早くから非凡さを発揮した。イエナ大学で法律を学び、そこでフィヒテの哲学に影響を受ける一方、ゲーテ、シラー、ヘルダーの住むワイマールを訪れては芸術的素養を身につけた。卒業後3年間ベルンのシュタイゲル家の家庭教師となったが、グルンドルフにペスタロッチを訪ねたこと(1799)とともに、これが教育学への決定的関心を促した。ゲッティンゲン大学で教育学、倫理学、哲学を講じ(1802~1809)、主著『一般教育学』(1806)、『一般実践哲学』(1807)を著す。ケーニヒスベルク大学に招かれて名誉あるカントの講座を継承し(1809)、『心理学教本』(1816)、『哲学綱要』(1831)を著す一方、教育セミナーや実験学校を付設して教育実践面にも活躍した。ふたたびゲッティンゲン大学に招かれ(1833~1837)、教育学体系を基礎づけた『教育学講義綱要』(1835)を著し、教育の目的を倫理学に、方法を心理学に求めて多面的興味の喚起を唱えた。ツィラーTuiskon Ziller(1817―1882)によって5段階に発展させられた教授法とともに明治20年代、日本に紹介され、谷本富(たにもととめり)(1867~1946)を中心として大きな影響を及ぼした。[増渕幸男]
『『一般教育学』(三枝孝弘訳・1960・明治図書出版/是常正美訳・1968・玉川大学出版部) ▽ヘルバルト著、高久清吉訳『世界の美的表現』(1972・明治図書出版)』

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世界大百科事典内のヘルバルトの言及

【教育学】より

…こうして,日本にも影響をあたえるドイツの思弁的教育学が発足する。その一つの頂点がJ.F.ヘルバルトの《一般教育学》(1806)である。彼は,教育の目的は倫理学によって,方法は心理学によって導かれるとした。…

【教育心理学】より

…今後独立科学としての理論と方法はさらに洗練されていくと思われるが,一般心理学の成果の中には,これを創造的に適用するならば人間の諸能力と人格の形成という教育の営みの発展に寄与しうるものが多面的に含まれているので,これを適切に摂取することも不可欠である。
[歴史]
 最初に教育心理学の成立の可能性と必要性を暗示したのはドイツの哲学者J.F.ヘルバルトであるといえよう。彼はJ.H.ペスタロッチの影響下で《一般教育学》(1806)を著すなどして教育学の体系化を試み,教育の目的は倫理学に,教育の方法は心理学にそれぞれ求めるという考え方を示した。…

【精神分析】より

…さらにその人格発達論と退行理論にはC.ダーウィンの進化論の裏打ちがある。またJ.F.ヘルバルトの自然科学的・機械論的見地に立つ心理学とフロイト心理学の類似性もしばしば説かれている。
【応用としての精神分析】
 これはフロイトの定義の(3)に属するであろう。…

【多元論】より

… 一と多との対立はピタゴラス学派,クセノファネス,パルメニデスとヘラクレイトスとの対立に起源するが,多元論者の代表は哲学史上,古代では,世界を構成する地・水・火・空気の四根rizōmataの愛・憎による結合・分離を説くエンペドクレス,無数の種子spermataを精神nousが支配して濃淡・湿乾などが生じ世界を成すとするアナクサゴラス,形・大きさ・位置のみ差のある不生不滅で限りなく多数の原子atomaが,空虚kenonの中で機械的に運動して世界が生じるとするデモクリトス,さらにはエピクロスなどを挙げることができる。近世では,表象能力と欲求能力とを備えて無意識的な状態から明確な統覚を有する状態まで無数の段階を成すモナドを説くライプニッツ,近代ではその影響下にあって経験の根底に多数の実在を認め心もその一つとするJ.F.ヘルバルト,真の現実界は物質界を現象として意識する自由で個体的な多数の精神的単子から成ると説くH.ロッツェなどである。さらにまたW.ジェームズは自己の根本的経験論は多元論であり,世界はどの有限な要素も相互に中間項によって連続せしめられており,隣接項とともに一体を成しているが,全面的な〈一者性oneness〉は決して絶対的に完全には得られぬとして,多元論の立場から多元的宇宙を説き,一元論的な絶対的観念論の完結した全体的な宇宙観を退けた。…

【ハウスクネヒト】より

…ヘルバルト学派の教育学を日本に伝えたドイツ人教育家。ブランデンブルクに生まれ,ベルリンのギムナジウムの外国語教師をしていたが,1887年招聘されて来日し,90年まで東京の帝国大学文科大学で,当時,有能な教員を育成するために設けられた教育学科の特約生に対してヘルバルト学派(J.F.ヘルバルト)の教育学を講義した。…

※「ヘルバルト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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