現代外国人名録2016 「50セント」の解説
50セント
フィフティーセント
50CENT
- 職業・肩書
- ラップ歌手
- 国籍
- 米国
- 出生地
- ニューヨーク市クイーンズ
- 本名
- ジャクソン,カーティス
- 経歴
- 父親不在の環境で生まれ、さらに幼い頃に麻薬密売人であった母が殺害されたため、祖父母に育てられた。10代から麻薬密売などに手を染め、度重なる服役や狙撃を経験。その後、息子の誕生を機にラップに開眼し、1996年Run-DMCのDJジャム・マスター・ジェイの主宰するJMJレーベルと契約して曲作りなどを学んだ。’99年プロデュースチームのトラックマスターズに見出され、大手のコロムビアレコードと契約しデビュー。“50セント”の名は、1980年代にブルックリンで暗躍し“50セントで殺人を請け負う”といわれた伝説のドラッグディーラー、ケルヴィン“50セント”マーティンに由来する。同年駆け出しのラッパーが著名なラッパーからその座を略奪するという内容のシングル「How To Rob」をリリースし、それにジェイ・Z、ビッグ・バンら有名ラッパーたちが反応したことから一躍スターダムにのし上がる。2000年祖母宅前で襲撃されて9発の銃弾を受け、一命を取り留めたもののコロムビアから契約を解除され、カナダに移る。2001年自主制作でアルバム「Guess Who’s Back?」を発表。これが白人ラッパーのエミネムに認められ、彼の主宰するシェイディーレコード及びアメリカ・ラップ界の大手レーベルであるアフターマス・エンターテイメントと契約。2003年アルバム「ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン」が全米1位を獲得し、全世界で800万枚を超えるセールスを記録した。同年エミネムとともに来日。2005年セカンドアルバム「ザ・マッサカー〜殺戮の日」がヒットし、同年公開の自伝的映画「ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン」も好評を博すなど、ギャングスター・ラップの雄として君臨。2009年自らが主人公となったアクションゲーム「50セント, ブラットオンザサンド」が発売された。他のアルバムに「カーティス」「ビフォア・アイ・セルフ・デストラクト〜自我崩壊の日」などがある。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報