薄型ディスプレーの一つ。表面伝導型電子放出素子surface-conduction electron-emitterとよばれる表示素子を応用したディスプレー装置で、ブラウン管のように明るく、ハイ・コントラストの画面を大型平面ディスプレーで実現できる。原理はブラウン管と同様、蛍光物質を塗布した発光面に電子をぶつけて発光させる。ブラウン管は電子を放出する電子銃がすべての画素を発光させるが、SEDではそれぞれの画素ごとに電子放出部を配置するため、薄型化や大画面化が容易であり消費電力も少ないことから、次世代大型薄型テレビを実現する技術として期待された。
キヤノンと東芝の共同出資によるSED社を中心に研究開発が進められたが、SEDの基幹技術に関してアメリカのApplied Nanotech Holdings社との間で特許訴訟がもちあがり、東芝はSEDから全面撤退した。そして2007年(平成19)、SED社はキヤノンの完全子会社になると同時に、SEDパネルの量産化や販売計画も無期限延期となった。なおアメリカにおける特許紛争に関しては、2008年11月、キヤノンの勝訴が確定している。
[編集部]
(荒川泰彦 東京大学教授 / 桜井貴康 東京大学教授 / 2007年)
(麻倉怜士 デジタル・メディア評論家 / 2008年)
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…ソ連に逃れた者も少なからぬ数がスターリンの粛清の対象とされたが,自由ドイツ国民委員会などとともに反ファシズム活動に従事した。 第2次大戦後,指導部の帰国によって旧党員を集め党の再建がなされたが,ソビエト占領区では46年4月社会民主党と合同してドイツ社会主義統一党(SED)が成立,以後ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国家党の地位にあった。1989年11月のベルリンの壁開放後,改革とドイツ統一を求める国民運動が拡大するなかで,党内改革派を中心に統一党・民主的社会主義党と改名し,翌年2月正式にSEDから民主的社会主義党(PDS)に移行した。…
…党指導部がプラハに逃れ国外組織(ゾパーデSopade)を作ったほか,ある者はイギリスなどに亡命し,ある者は国内で非合法活動をなお数年続け,そして多くが強制収容所に送られた。【西川 正雄】
[戦後]
1945年ナチス・ドイツの敗戦後に,米英仏ソの4占領地区で再建が行われ,ソ連地区のSPDは46年共産党と合併しドイツ社会主義統一党(SED)が結成される。西側占領地区では46年5月第1回党大会が開かれ,シューマッハーKurt Schumacher(1895‐1952)が党首,オレンハウアーErich Ollenhauer(1901‐63)が副党首に就任。…
※「SED」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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