翻訳|electron
素粒子の一種。eまたはe-の記号を用いる。陽子(=プロトン。水素の原子核)の約1800分の1の質量で、陽子の電荷と大きさが等しく逆符号の負電荷をもち、他の粒子への崩壊が観測されていない安定な粒子であり、物質を構成する原子の重要な構成要素になっている。中性の原子の中心には、原子の質量のほとんどを担った非常に小さな大きさの原子核が存在し、その周りを、核の正電荷を打ち消すだけの、原子番号に等しい個数の電子が運動している。このような原子の描像が確立したのは、ラザフォードによる原子核の発見と、それに引き続いた1910年代から1920年代へかけての量子力学の成立によっている。しかし既知の粒子とは異なる新しい実体として電子の存在が確立したのは、19世紀の末であり、電子が関与するさまざまな現象の研究を通じてこれがなされた。現代の先端技術は、電子の性質を応用したものが多い。
[藤井寛治]
適当な2物体を互いに摩擦すると、それらが帯電する現象は、古い記録にも残されている。英語で電子をエレクトロンといい、この単語はギリシア語源でこはくを意味している。こはくが摩擦により帯電することから、摩擦により生じるもの、電気を意味するものになった。このような帯電現象は、互いに触れ合った2物体の間で電荷の分布が変わる、いいかえれば電子の再配置がなされるために生じる。摩擦は、物質中を動きやすい電子を再配置させるための単なる手段にすぎないのである。
[藤井寛治]
電子の存在は、真空放電での陰極線の研究を軸にして確立された。1836年にファラデーが真空放電の研究を始め、その後19世紀の中ごろ、ドイツの物理・数学者プリュッカーが、自分で考案して技師ガイスラーに頼んでつくった放電管を用いて本格的研究を始めた。プリュッカーは、陰極に近いガラス壁が蛍光を放つことを発見し、それを一種の放射線が陰極から出ているために生じると考え、その放射線が磁石の作用で曲げられることもみつけた。この陰極線の本性をめぐって多くの研究がなされ、19世紀末にようやく、J・J・トムソンやH・A・ローレンツらの寄与により、電子というそれまで知られていなかった粒子の流れであることが確定した。
トムソンは、回転鏡を用いて陰極線の速さを決め、それが電磁波(光)の伝わる速さの100分の1以下であることを示し、陰極線がエーテル(電磁波の媒体)の振動であるという説を否定した(1894)。翌年ペランは陰極線を金属箱にとらえ、箱が負に帯電することを示した。トムソンは、陰極線が負の電荷をもつ粒子からなると仮定して、粒子の比電荷e/me(ここでeは粒子の電荷の絶対値、meはその質量)を、いろいろな条件(粒子を放出する陰極の物質や陰極線管のなかの気体を変えるなど)のもとで測定したところ、水素イオンの比電荷の約1000倍もの大きな値が得られた。その後、電荷eそのものを測定し、水素イオンの電荷とほぼ同じ大きさであることを示した。こうして、陰極線の粒子は、それを放出する陰極の物質によらず1種類で、原子よりはるかに小さな質量をもつことがわかった。
一方、ナトリウム炎を磁場の間に置くと、スペクトルのD線が広がることをゼーマンが発見した(1896)。ローレンツは次のような説明を与えた。原子内に軽いイオンがあり、原子内を支配する力の法則に従って周期運動をしており、その振動数をもつ光を放出する。ここに外部から磁場が加えられると、陰極線粒子が受けるのと同種の力を軽いイオンが受けて運動の振動数が変わる。その結果、原子から放出される光のスペクトル線が分離する。ローレンツは、軽いイオンの比電荷ei/mi(eiは軽いイオンの電荷の絶対値、miはその質量)と外からかけた磁場の大きさとの積に比例した量だけずれた振動数がさらに加わることを示した。ゼーマンはこれに従って比電荷を実験から決めた。その後ローレンツは、光の屈折率に関する自分の理論からei2/miを求め、ゼーマンの測定値と組み合わせてeiとmiを別々に決め、これらの数値がトムソンの得た値とほぼ一致することを示した。こうして、原子内にあって、その質量の小さな部分を占めるにすぎないけれども、原子からの光の放出や、元素の化学的・物理的性質を決めるうえで重要な役割を果たす新しい実体としての電子の存在が明らかになった。
[藤井寛治]
1896年ベックレルは、ウラン化合物が外からの励起なしに放射線を出す現象として放射能を発見した。その後、彼は、放射線のなかで比較的透過力の大きい電荷をもつβ(ベータ)線が、陰極線粒子と同じものであることを確証した(1900)。この電子(またはその反粒子の陽電子)は、原子核に束縛されて原子内を運動する電子ではなく、核を構成する中性子や陽子が転化する際に伴うものである(たとえば、中性子→陽子+電子+中性微子(ニュートリノ))。1932年に中性子が発見される以前には、原子核が陽子と電子の結合状態であり、その電子がβ線として放出されると考えられたが、実験事実との決定的な矛盾が生じていた。
[藤井寛治]
1928年ディラックは、電子が従う相対論的波動方程式を与え、電子の反粒子である陽電子(ポジトロン)の存在を予言し、4年後に宇宙線の粒子軌跡から確認された。この理論によれば、電子は固有の角運動量ħ/2(ħ=h/2π、hはプランク定数)、磁気モーメントの大きさeħ/(2me)(これをボーア磁子またはボーア・マグネトンとよび、μBと書く)をもつことになる。ところが後者の実験値は、わずかにずれている。このずれ、すなわち異常磁気モーメントは、電子が光子(フォトン)の雲を周りに着るという量子力学的な効果によるものと理解されており、量子電磁力学に従った計算結果と非常によい一致が得られている。この計算では、電子は広がりをもたない点粒子とみなされているので、理論と実験のよい一致は、電子がそのコンプトン波長に比べて非常に小さい広がり(10-16cm)しかもちえないことを示している。この事実は、たとえば陽子は、コンプトン波長≃2.1×10-14cm程度の広がりと、異常磁気モーメントが核磁子(核マグネトン)eħ/(2mp)単位で(mpは陽子の質量)≃1.79という大きな値をもつことときわめて対照的である。電子や陽子の電荷の大きさよりも小さな電気量は直接に観測されていないが、陽子などを構成する基本的な実体(クォーク)がより小さなe/3単位の電荷をもつことが理論的に示され、20世紀末までにそれが実験からも確かめられた。将来、高エネルギーの素粒子反応の研究によって電子の構造が問題になり、電荷の素量性についての新しい知識も得られるであろうと考えられている。
[藤井寛治]
『スティーブン・ワインバーグ著、本間三郎訳『電子と原子核の発見 20世紀物理学を築いた人々』(1986・日経サイエンス社)』▽『小川岩雄著『物理学One Point29 原子と原子核』(1990・共立出版)』▽『西尾成子著『ポピュラー・サイエンス こうして始まった20世紀の物理学』(1997・裳華房)』▽『岸野正剛著『ポピュラー・サイエンス 電子はめぐる――先端エレクトロニクスとその開拓者たち』(1998・裳華房)』▽『菊池正士著『原子核の世界』(岩波新書)』
エレクトロン,β粒子ともいう。物質を構成する基本的素粒子の一つ。記号e⁻。質量(静止質量)meはme=9.109390×10⁻31kgで,電気素量に等しい大きさの負の電荷-e=-1.6021773×10⁻19Cをもつ。スピンは1/2でフェルミ統計に従い(フェルミ粒子),パウリの原理によって2個以上の電子が同じ量子力学的状態をとることはできない。
電子は19世紀後半に陰極線として発見され,いわゆる発見された素粒子としては最初のものであった。真空放電のとき陰極から陽極に向かう流れ(陰極線)が見られるが,この流れは電場,または磁場を作用させると曲がることから電荷をもつはずであり,また曲がる向きから負に帯電していることがわかった。さらに陰極線は陰極をつくっている物質や,放電管内の気体の種類に関係なく同じ性質をもつことから,1897年J.J.トムソンにより,陰極線の粒子はすべての原子に共通に含まれる基本的な粒子であると結論され,この粒子に電子の名が与えられた。ただしエレクトロンの名は,1891年G.J.ストーニーが,自然界に存在する電荷の量はある量(電気素量)より小さくは分解できないことを見いだし,この電気素量に対して命名したものである。
電子の本質は質点ではなく波動であり,電子が波動性を示すことは,1923年ド・ブロイによって仮説として提唱され,27年アメリカのデビッソンClinton Joseph Davisson(1881-1958)らが,ニッケル結晶面による電子線の回折現象を発見したことで実証された。したがって電子は光と同じように干渉,回折などの現象を示し,シュレーディンガー,あるいはディラックの波動方程式で記述される。波動としての電子(電子波という)の波長λは,プランク定数をh,電子の運動量をpとしてド・ブロイの関係λ=h/pで与えられるが,その波長は可視光に比べてはるかに短い。波動であるが,一方,量子性により1個,2個と数えることができ,1個の電子の質量,電荷が意味をもつのである。
電子の反粒子は陽電子である。電子は単独では安定で崩壊しないが,陽電子と衝突して消滅し数個の光子に転化する(電子対消滅)。また逆にγ線が物質にあたったとき,あるいは十分のエネルギーをもつ荷電粒子が原子核の周囲で急に曲げられると電子,陽電子の対がつくられる。これはエネルギーが物質に転化する過程である。これを電子対生成electron-pair creationといい,32年C.A.ウィルソンが宇宙線の霧箱写真において最初に見いだしたもので,ディラックの空孔理論の実証の一つである。原子核,μ粒子その他の粒子のβ崩壊の際にも電子が生成・放出され,これはβ線と呼ばれる。
→素粒子
執筆者:宮沢 弘成
中性原子の原子核のまわりには,その原子番号に等しい数の電子がとらえられている。これらの電子のうち,原子核にごく近い軌道上にあるものは内殻電子,または芯電子と呼ばれる。一方,外側の軌道を回り,比較的弱く原子核にとらえられている電子は外殻電子,または価電子と呼ばれ,物質の化学的な性質や物理的な性質を決定づけている。例えば原子が化学結合して分子や固体を形成するのは価電子の働きによっている。電気伝導や光の吸収,磁性の起源なども,物質中における価電子のふるまいによって支配されている。なお,物質中,あるいは真空中を自由に運動している電子を自由電子と呼ぶ。
執筆者:塚田 捷
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
物質を構成する素粒子の一つ.記号e.質量
m = 9.1095×10-28 g
で負の電気素量
(e = 1.6022×10-19 C)
をもつ.スピン±1/2.電子はまたボーア磁子 μ B にほぼ等しい固有の磁気モーメントをもつ.電子の運動は,シュレーディンガーの波動方程式またはディラックの波動方程式により記述される.原子番号Zの元素は+Zeの電荷をもった原子核とZ個の電子とからできている.原子の物理的ならびに化学的性質の大部分はこの原子内電子の状態によって定まる.このとき,電子が
(1/2)ℏ
のスピンをもち,フェルミ-ディラックの統計に従うということが決定的な役割をする.原子内の電子がエネルギーを得て原子から解離すると自由電子となり,物質のなかを移動することができる.このことから,物質の物理現象のうち電磁気的現象,熱的現象などの多くの現象に電子が関係することになる.光量子エネルギーは電子が原子内のある状態から,より安定な状態に移るとき,またはその逆のときに原子系から放出され,またはそれに吸収される.つまり,電子と原子の間の諸過程には,光の放出,吸収を伴っているものがある.したがって,電子は物質の光学的性質にも大きく関係している.このように,電子は原子レベル以上の物質のどんなところにもあって,化学現象のほとんどすべてと物理現象の非常に多くの部分に関係する.しかし,このような現在の電子の像も,19世紀後半以後の多くの研究にもとづいて徐々にたてられてきたものである.陰極線の研究,光電効果の研究,熱電子放出の研究,水素にはじまる原子スペクトルの研究などがそれにあたる.
出典 森北出版「化学辞典(第2版)」化学辞典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
(市村禎二郎 東京工業大学教授 / 2007年)
出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報
…52年ゴールウェイのクイーンズ・カレッジ教授,57年ダブリンのクイーンズ・カレッジ教授。74年電気分解のイオンの帯電量を計算し電気素量の存在を主張,のちこの素量を〈electron〉と名づけた。スペクトル線と原子内の振動状態の関係の研究,ケルビン,J.ロシュミットに先だった分子の大きさの概算などの研究もある。…
…たとえば,J.J.ベルセリウスの電気的二元説(1820ころ),F.A.ケクレの炭素四原子価説(1858),J.H.ファント・ホフ,ル・ベルJoseph Achille Le Bel(1847‐1930)らの炭素原子の結合の手が正四面体の中心から頂点の方向に伸びているという四面体説(1874),A.ウェルナーの配位説(1893),さらにはR.アベックの主原子価と副原子価の和が8になるという八の法則(1904)などがあり,原子には固有の原子価があることがわかってきた。19世紀末に電子が発見され,20世紀に入ってそれまで不可分とされていた原子が,原子核と電子から成ることがわかってくると,種々の原子模型が提出された。そのなかで画期的な成功を収めたものがN.H.D.ボーアの原子模型(1913)で,これに基づいてG.N.ルイスの原子価論,W.コッセルの原子価論(ともに1916)が提出され,現代の原子価概念の基礎がほぼ確立し,化学結合における電子の役割が注目されるようになった。…
…物質の基本的な構成要素。もともとはこれ以上分割できない恒常不変な最小のものと考えられていたが,20世紀初期に原子核と電子とから構成されていることが明らかにされた。また,原子内の状態もいろいろに変わりうることがわかり,その後,さらに原子核が陽子と中性子とから構成されていることも明らかとなった。…
…これが原子である。原子は確かに物質を構成する基本粒子であり,化学的性質を保つ最小の単位ではあったが,しかし20世紀に入ると,この原子はそれ自身決して分割不可能なものでなく,中心に原子核という小さな粒子があって,そのまわりをいくつかの電子という小さな粒子が回っていることが明らかにされ,さらに原子核も陽子と中性子の複合体であることがわかった。このように物理学が対象とした万物が原子からなり,その原子がすべてこの3種類の小さな粒子(陽子,中性子,電子)でできているとすれば,これらの小さな粒子こそ,もっとも基本的なものであり,このためこれらの粒子は自然を構成する素元的な粒子という意味で〈素粒子〉と呼ばれるに至ったのである。…
…最終的には,磁場と静電場を使用しての陰極線の屈曲実験から負の荷電粒子の比電荷を確定し,陰極線の本性が電離した水素原子の比電荷のおよそ1000倍もの比電荷をもつ物質であることを明らかにした。97年に行われたこの電子の発見は,原子よりも小さな最小単位の存在を実験的に確証することによって,20世紀の原子物理学への扉を開いた。1906年には,これら一連の研究によりノーベル物理学賞を受賞。…
※「電子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加