保科正俊(読み)ほしな まさとし

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保科正俊」の解説

保科正俊 ほしな-まさとし

1511-1593 戦国-織豊時代武将
永正(えいしょう)8年生まれ。信濃(しなの)(長野県)高遠氏に属していたが,武田信玄の信濃侵略に際して信玄配下となり,高遠城主となる。信濃先方衆騎馬120騎持。槍弾正とよばれた。武田氏滅亡後は徳川家康につかえた。文禄(ぶんろく)2年8月6日死去。83歳。通称は甚四郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む