朝日日本歴史人物事典 「普寛」の解説
普寛
生年:享保16(1731)
江戸中期の修験者で,御岳講・御岳教の開祖。武州秩父郡(埼玉県)大滝村生まれ。俗名は浅見左近。江戸の修験法性寺の弟子となるが,のちに三峰山観音寺に入り,修験道に打ち込む。法性寺の跡を継ぎ,本山派修験の触頭となり,伝灯阿闍梨の地位にすすんだ。三笠山(群馬県),意和羅山(埼玉県)を開く。信州王滝村から秩父へ杣稼ぎにきていた与左衛門という者が普寛に眼病を治してもらったことが縁で,与左衛門の手びきにより寛政4(1792)年に御岳山に登頂し,王滝口登山路を開いた。翌年にも信徒を連れて御岳山を登拝する。御岳山登拝には,火難・病難除けの信仰があり,普寛の活動によって江戸を中心に関東一円に御岳信仰が広がった。木材業者の帰依があったらしく,その援助で登拝を行ったといわれる。普寛のあとにも有力な行者が現れて,つぎつぎに講社を結成して,御岳講は隆盛を極めるようになる。<参考文献>生駒寛七『御岳の信仰と登山の歴史』
(林淳)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報