生没年未詳。『万葉集』末期の歌人。別名紀小鹿(おしか)。紀鹿人(かひと)の娘で、安貴王(あきのおおきみ)の妻。『万葉集』に12首の短歌が所収。このうち5首が大伴家持(おおとものやかもち)への贈歌。いずれも友交関係による社交的な歌であるが、当時の一般的傾向として恋歌的な、あるいは諧謔(かいぎゃく)的なことば遣いが持ち込まれる。「戯奴(わけ)がためわが手もすまに春の野に抜ける茅花(つばな)そ召して肥えませ」など、当時の新風の一典型といえる。事実とは異なる恋や、言語遊戯的な諧謔を通して、和歌が社交の重要な具となりつつあった。また一方では、月下の梅への観照による新しい風流の歌をも詠んでいる。
[鈴木日出男]
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...