日本大百科全書(ニッポニカ) 「菅浦文書」の意味・わかりやすい解説
菅浦文書
すがうらもんじょ
滋賀県長浜(ながはま)市西浅井町菅浦(にしあざいちょうすがうら)に伝来した中世在地(ざいち)史料の一つで、平安末~鎌倉・室町時代を中心とした区有文書。大正年間まで鎮守須賀(すが)神社の「開かずの箱」に秘蔵されていた。数少ない中世庶民史料と評価され、また村落研究の好史料として、とくに「惣(そう)」研究における典型例として紹介されてきた。おもな内容は、(1)大浦(おおうら)荘との相論関係文書と供御人(くごにん)の活動を示す文書、(2)村に関した掟書(おきてがき)と宮座関係文書、(3)菅浦荘の支配を表す文書と戦国大名浅井(あさい)氏関係文書、に大別できよう。菅浦の特徴は大浦荘との相論の過程で顕現する。菅浦供御人として鯉(こい)、大豆(だいず)、枇杷(びわ)を備進するなかで諸国往反の自由特権を獲得したり、1346年(正平1・貞和2)の日差(ひさし)・諸河(もろかわ)の田畠(たはた)の外部の者への売買禁止の置文(おきぶみ)、1461年(寛正2)の「乙名(おとな)・中乙名・若衆」の組織を示す置文に至るまでの「惣」の展開は、いずれも相論が重要な契機となっている。このことは、村内の慣習法を成文化して残してきた菅浦住民のたどった意識を表しているものといえる。区有文書のほかに、菅浦家文書をも含んだ形で、滋賀大学経済学部史料館編『菅浦文書』(2巻)に収められている。
[江部純一]