慣習法(読み)カンシュウホウ(その他表記)customary law

デジタル大辞泉 「慣習法」の意味・読み・例文・類語

かんしゅう‐ほう〔クワンシフハフ〕【慣習法】

慣習に基づいて社会通念として成立する法。立法機関の制定によるものでなくても、法としての効力を認められている慣習。一種の不文法習慣法

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精選版 日本国語大辞典 「慣習法」の意味・読み・例文・類語

かんしゅう‐ほうクヮンシフハフ【慣習法】

  1. 〘 名詞 〙 法律と同じ効力をもつ慣習。社会生活での習慣や慣行が、人の生活関係を規律するようになり、世間一般から法としての効力を認められるにいたったもの。不文法で、成文法に対して補充的な効力をもつ。特に国際法や商法の分野では重要な役割を果たす。商慣習法の類。習慣法。〔民事訴訟法(明治三三年)(1900)〕

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改訂新版 世界大百科事典 「慣習法」の意味・わかりやすい解説

慣習法 (かんしゅうほう)
customary law

国家の正統的権力に直接に支持されている国家法ないし実定法に対し,社会に慣行的に行われている法,すなわち社会の諸組織や人間の諸生活領域で国家権力とは直接の関係がなくとも,法として守られている社会規範をいう。不文法(成文法・不文法)の一種。例外的に実定法として扱われる場合もあるが,一般的には,権威の正統性も権力の組織性もまた法としての体系化・成文化も国家法ほど整わず,形態・性質は社会ごとに多様で,単なる慣習・慣行と区別しがたいことも多い。だが実際には,国家法の空白あるいは不備な部分を補充するだけでなく,国家法に反する慣行が国家法に優先して行われるほど実効性が強く,しかも権威とサンクションと管理機構を明確に備えている場合がある。このような慣習法は,人々の日常生活には国家法とならんで実際に存在し,国家法の機能にも無視できない影響を与えるものだが,その多様な形態を観察し,法としての性質を解明することは,依然今後の学問的課題である。

 概念としては近代中央集権国家の誕生にともなって,国家法と対照的に成立したものである。歴史的には,原始法,古代法,中世法,封建法,伝統法,前近代法などと呼ばれるものが,各時代の社会ではむしろ実定法だったというべきだが,今日的視点から見ると多くは慣習法の性質を持つ。近代以降現代においては,非西欧社会はもとより西欧社会においても,少数民族,異宗教集団,特殊階層,職業団体,地域組織などがとくに婚姻,家族,土地,林野などについて持つ伝統的な慣習法があり,それがサビニーらの〈慣習法〉や〈民衆法〉,あるいはE.エールリヒの〈生ける法〉などの概念をうんだ。また西欧の学者が非西欧社会の法を見たとき,土着法,未開法,文字以前法,現地法,部族法,法習俗,法慣行などと呼んだものも慣習法に属する。ごく最近では,西欧非西欧を問わずおよそ人間社会で国家法とならんで実効的に機能している慣習法を,固有法,非公式法,フォーク・ローfolk lawなどの名で再認識しようとする傾向が出ている。
執筆者:

実定法上,慣習法がどのように取り扱われるかは,国によりまた時代により異なっている。日本の法例2条は,慣習が公序良俗に反しないことを条件に,(1)法令の規定によってとくに慣習によるべしと定められている場合(たとえば入会権に関する民法263条,294条),および(2)法令に何の規定もない事項にかぎり,慣習に〈法律と同一の効力〉(法源としての効力)を認めると規定している(慣習法)。これによって一般に,慣習法は成文法を補充する効力を有することが認められた。商事慣習法には民法の任意規定を排斥する効力が制定法上認められている(商法1条)が,他の慣習法も一般に,成文法を改廃する効力を有するのであろうか。法例2条を文字どおり解するかぎり,強行規定はもちろんのこと任意規定といえども,慣習法はこれを改廃しえないといわざるをえない。にもかかわらず今日,立木(りゆうぼく)や未分離果実の公示方法,譲渡担保内縁等に関し,慣習法による強行規定の改廃が認められている事実を否定しえない。これを法例2条との関係でどう説明すべきかは難しい問題である。上の事実を直視して慣習法に成文法と同一の効力を認め,その成立または効力を法例2条によって制限・排除しえないと考える説,強行規定の趣旨に反していないかぎり,ある慣習法が一見強行規定に反するようにみえても,実はそれに反していないと考える説などがある。なお,刑法においては罪刑法定主義の原則によって慣習刑法が禁止される。
事実たる慣習
執筆者:

ヨーロッパにおいても法生活に占める慣習法の地位は,歴史的にみて変遷してきた。ひと言でいえば不文の慣習法が支配した時代から制定法優位の時代へということになろうが,その移り変りはおよそ四つの時期に区分してみることができる。

中世初期から学識法の登場する12世紀中葉まで。ゲルマン人の社会では古来慣習法のみが行われていたが,その国家建設後,5世紀から9世紀にかけて成文のゲルマン部族法の諸法典(法典の内容は,一部は文書による慣習法の確定,一部は支配者の法定立)の成立をみ,またフランク王国の諸国王の勅令(カピトゥラリア)も発せられた。しかしこうした成文法は一部の法領域に限られたし,カロリング朝末期以降しだいに行われなくなって,再び不文の慣習法が支配するにいたった。この期には習俗,慣行,慣習,慣習法の概念上の区別は存在せず,またおよそ慣習法というものについて当時の人々自身の考え方を述べたものもない。ケルンFritz Kern(1884-1950)以来の伝統的見解によれば,〈ゲルマン・中世の法は,神を始源とする一つの客観的秩序であり,この客観的秩序は不文,非制定,不変の秩序であった。法は古きもの,良きものであって,つくられうるものではなかった。法は,確信ともろもろの古き伝統のなかに発見された〉。要するに法は,法定立ではなく慣習から生じ,その通用力を古さと良さとから引き出すというのである。しかし現在の研究水準では,この〈良き古き法〉観念の存在をこの時期について認めることには疑問がある。第1に,新しい法をつくり出し,法・慣習を変更・廃止することは可能と考えられていた。史料のなかには,長い慣習は法律を改廃する力をもつとし,そのさいの慣習の古さと良さ(理性や真理との合致)を強調する例がたしかにあるが,それらは,教会や古代末期のローマ法に由来する言い回しの型どおりの引用にすぎない。これをもって当時の法観念一般はもとより,慣習法の本質的要件を表現したものとみることはできない。そこでは,単なる慣行,事実上の慣習がそのまま慣習法だったのである。

12世紀中葉から18世紀中葉まで。12世紀になると,ローマ法と教会法(カノン法)の影響の下に,法のあるべき姿としての成文法,それと慣習法との関係,法の実質的内容としての正義などの観念が知られ,法的思考に根本的変化が生じる。近時の有力な見解によれば,〈良き古き法〉観念も実は12世紀以降領域的法共同体の形成に対応して,ローマ法と教会法の影響の下に初めて出現し,領域的支配の論理に対応した新たな法観念と競合しつつ,近世に入ってまで一定の機能を持ち続けたとされる。1220年ころには,全ヨーロッパで文書による法の確定の動きが始まり,ザクセンシュピーゲルボーベ地方慣習法書など一連の法書(一定地方の慣習法の私的編纂)が成立した。また立法による法定立の理論が,まず教皇の立法権について展開され,やがて12世紀末から13世紀にかけて,世俗世界の支配者にも認められることになった。この立法権は理論的には排他的権限とされたが,一般的には,皇帝,国王,領邦君主は,諸身分の同意を得てのみ新しい法を制定しうるという原則が妥当した。この結果,立法は多くの場合慣習法を記録したにすぎなかったり,また伝来の慣習法や法律を更新し回復するという形をとったりもした。しかし王権や領邦権力が近代主権国家への道を歩むにつれて,立法による新たな法の定立はしだいに広範かつ頻繁になり,慣習法との衝突も増大していった。それでも制定法が体系的・包括的な性質をもつにはいたらず,慣習法はいぜんとして法生活の基本的なファクターであり続けた。

 ところでこの時期に,慣習法は中世の法学者の手で,その妥当根拠,成立,効力をめぐる基礎づけがなされ,合理的枠組みを与えられた。なかでも成立要件について,最低期間(ローマ法学では10年,カノン法学では40年),理性との合致などが明確化されたことは重要である。非理性的な慣習は法的効力をもたず,良き慣習と悪しき慣習の区別は根本的意義を獲得した。慣習と慣習法を分ける試みが始まったのである。その支配的見解は,成文法に対する補充的効力だけではなく,改廃的効力をも認めた。このような慣習法理論はローマ法の継受とともにヨーロッパ諸国に広まり,成文法のなかにも受け入れられていった。

18世紀中葉から19世紀初頭まで。絶対主義国家のもとで,すべての法は立法の所産であって主権者たる君主の意思に源を有するという観念が支配し,人間理性にもとづく普遍的法体系を提唱する自然法思想に支えられた体系的・包括的な法典編纂が取り組まれる一方,慣習法に対しては,はっきりと否定的態度がとられた。旧来の慣習法の破棄にとどまらず,慣習法の新たな形成を法律上禁止するにいたったのである。伝統的性格の強い早期の法典編纂,マクシミリアヌス・バイエルン市民法典(1756)では慣習法を改廃的効力も含めて承認していたのに,プロイセン一般ラント法(1794),フランス民法典(1804。ナポレオン法典),オーストリア一般民法典(1811)は,これを一般的に否認し,ごく限られた範囲での慣習の顧慮を許すにとどまった。

19世紀初頭以降。ドイツの歴史法学派が,法の本質は民族の共同の意識にあるとして,再び慣習法尊重の立場をとり新たな理論化を行ったが,同世紀中葉以降,国家制定法のみが法のすべてとみる法律実証主義が支配することになった。立法においては引き続き慣習法否定の態度がとられた。ところが19世紀後半における資本主義の飛躍的発達とこれにともなう社会問題の激化を背景に,同世紀末から20世紀初めにかけ慣習法の再認識が行われる。法を国家権力の単なる命令としてとらえず,共同の意識に基礎づけようとするギールケらの立場や,国家法から独立している自由な法によって制定法の不備や欠缺(けんけつ)を埋めなければならないとする自由法運動(自由法論)がそれである。こうした動きに対応して,ドイツ民法典(1900)は,第1草案(1887)が慣習法を基本的に否認しようとしていたのに反し,慣習法について明文の規定をおかず,学説にこれを委ねた。そして通説は,慣習法を制定法と同等の法源と認めた。スイス民法典(1907)は明文をもって慣習法を承認し,法律に対する補充的効力を認めた。
執筆者:

慣習法を中国法史,とくに秦・漢以後の中から探ろうとすると,かなりな困難を伴う。一般に慣習法は成文法の発達とともに後退するが,中国では秦の始皇帝による集権的統一国家以後成文の法が発達し続け,明・清に至って極点に達したという状況があり,成文法による統一的・画一的支配が長く続き,しかも社会規範として成文法と慣習法の併存という形をとらないのである。

 成文法は慣習法より〈礼〉と併存する,というより礼の実現を目ざすというあり方を示した。慣習法は成文法によって領域を狭められ,さらに礼によって排除されるのである。礼は〈道徳仁義も礼に非ざれば成らず。教訓俗を正すも礼に非ざれば備わらず。朝をわかち,軍を治め,官にのぞみ,法を行うも礼に非ざれば威厳行われず,禱祠祭祀鬼神に供するも礼に非ざれば誠ならず〉(《礼記》曲礼)と説明され,俗(風俗習慣)を正すも礼,法を行うも礼,祭祀も礼で,礼こそ根本だとされていた。礼は儒学の価値基準による秩序の体系であるが,漢以後,歴代の権力は先験的価値基準だとして教化を強め,重要な部分については法による刑罰でのぞんだ。それが2000年を超える異様な長期にわたり強行されてきたのであって,そこにヨーロッパにおける自然法と礼とを対置して考えられないかという可能性が生まれる。ところが礼も法もともに権力的な秩序の体系であって,個人間の平等な法関係は成文法として発展を遂げることはなかった。われわれが民事と意識する広大な分野を,法は放置したのである。したがって,かえって私人間のルールは〈事実たる慣習〉に頼るしかなく,慣習の領域が一定の面で社会規範を形成するうえに大きな役割を果たしたことは否定できない。法は放置するという消極的態度で慣習法を認めたともいえる。
中国法
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「慣習法」の意味・わかりやすい解説

慣習法
かんしゅうほう
customary law

不文法の一種。社会のなかで慣行的に行われ、人々の行動を規律している一定の行動の型の繰り返しを慣習規範とよぶが、この慣習規範が法として認められ、強行されるようになった場合に、慣習法とよばれる。国家権力の確立する以前においては、慣習法が原則的な法形式であったが、現在でも成文法の発達が不完全である国際法の領域においては、重要な役割を果たしている。

 18世紀末から19世紀初めの近代国家の成立期には、慣習法は冷遇された。たとえば、1786年のオーストリア・ヨゼフ法典、1794年のプロイセン一般ラント法(普通国法)、1804年のフランス民法典は、いずれも、慣習法の効力を直接または間接に否認している。それは、一つには中央集権的近代国家が、すべての法規範の源泉を国家の手に独占しようとしたことにある。さらには近代自然法思想に立脚する近代法典の性質による。なぜなら、近代法典が自然法思想に基づき打破しようとしたのは封建的諸制度であり、当時の慣習性とはまさにこのようなものとしての封建的遺制だったからである。その後、19世紀の初頭に、法思想において歴史法学派が台頭し、法の自然的成長を主張した。一方、生産関係の発展により市民社会はめまぐるしく推移した。このような事態を背景として、慣習規範はふたたび法として認められるようになった。たとえば、19世紀末のドイツ民法典の編纂(へんさん)にあたって、大論争のすえ、慣習法の効力は学説にゆだねられることになった。さらにスイス民法は慣習法を明文をもって認め、これに対し成文法の補充的効力を与えた。日本においても同様で、慣習規範は、成文法規の補充的効力を認められ(法の適用に関する通則法3条)、当事者がそれによる意思があると認められる場合には、任意成文法規に優先する効力を認めている(民法92条、事実たる慣習)。また商慣習法では、成文商法を補充する効力を有し、成文民法に優先する効力を有する(商法1条2項)。

[淡路剛久]

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百科事典マイペディア 「慣習法」の意味・わかりやすい解説

慣習法【かんしゅうほう】

法として承認された慣習。不文法の一種。社会において繰り返される行動の型は,社会の構成員にそれに従わなければならないという意識を起こさせ,規範としての性格を持つにいたる。そのうち,特に実定法上の拘束力を持つにいたったものを慣習法と呼ぶ。歴史的には極めて重要な一般法源であったが,近代以降においても成文法に対し補充的効力をもち,特に国際法,商法などの分野では現在でも重要な法源を形成している。日本では法令で認めたもの(商慣習法入会権など)のほかは,法令に規定のない場合にだけ法律と同一の効力を有する(法例2条)というのが原則であるが,民法92条は〈事実たる慣習〉は任意規定に優先する場合があるとしている。また,譲渡担保内縁など慣習法が判例を通じて強行法規を変更することもある。
→関連項目慣習降伏実定法制定法

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「慣習法」の意味・わかりやすい解説

慣習法
かんしゅうほう
customary law

不文法の一種。人々の間あるいは国際間に成立した慣習で,法的確信を伴って行われるもの。近代国家においては成文法主義がとられ,多くの場合,慣習法は例外的にのみ認められるにすぎない。日本でも慣習法は成文法に対し補充的効力をもつものとされる (法例2) が,入会権 (民法 263,294) ,商慣習法 (商法1) については,慣習法が民法に優先する効力を認められる。国際法ではすべての国に適用される一般的なものは大部分慣習国際法である。

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世界大百科事典(旧版)内の慣習法の言及

【アーダ】より

…イスラム社会の慣行および慣習法を意味するアラビア語。ウルフ‘urfともいう。…

【アダット】より

…〈慣習〉〈慣行〉または〈伝統的秩序〉〈慣習法〉を意味するアラビア語のアーダを起源とするマレー語で,タイ南部,マレーシア,インドネシア,フィリピン南部に広く使われる。その内容は地域的にひじょうに異なるが,広義には〈現在に生きる過去の範例,規範〉と言える。…

【事実たる慣習】より

…法例2条は,公序良俗に反しないことを条件に,法令の規定によってとくに慣習によるべしと定められている場合および法令になんの規定もない事項に限り,〈法律と同一の効力〉を慣習に認めている。これを〈慣習法〉と呼ぶのに対し,民法92条の規定する慣習を〈事実たる慣習〉と呼ぶ。前者が人々の法的確信を伴う慣習であるのに対し,後者はそれを伴わなくともある狭い範囲で事実上行われる慣習であればよいとされる。…

【封建国家】より

…しかし現実には法はたえず変動した。けだし慣習法秩序の内容は常に多少ともあいまいであり,このあいまいさに乗じて実力が行使される余地が広範に残されていたからである。利害関係者たちの間で何が法であるかについて意見の一致がみられないときは,問題は実力の行使によって解決されざるをえなかった。…

【封建法】より

… 封建法が重要な意味をもったのは,9世紀から13世紀までのヨーロッパにおいてである。封建法の比較的まとまった成文法源としては13世紀の諸〈法書〉があるが,これらはすべて当時の封建慣行を記録したものであり,封建法の本体はあくまでも不文の慣習法であった。すなわち,抽象的な封建法の体系があって,個々のケースがこれによって規律されたのではなく,むしろ個々の封建契約や若干の制定法を基礎として,そのときどきの力関係に敏感に反応しつつ,しだいに具体的な封建慣習法が形成されたのである。…

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