朝日日本歴史人物事典 「馬場為八郎」の解説
馬場為八郎
生年:明和6(1769)
江戸後期の阿蘭陀通詞。名は貞歴,号は貞斎。父は三栖谷仁平。長崎の生まれ。安永7(1778)年稽古通詞,のち小通詞,大通詞へと昇格。通詞馬場左十郎の養父。文化1(1804)年ロシア遣日使節レザーノフ来航の際,通詞石橋助左衛門と共に応接に当たった。同4年幕府天文台の蝦夷地御用として通詞名村多吉郎と共に出府,翌年蝦夷地に出張。同6年の帰郷までの間にロシア東方進出の歴史書『魯西亜国誌支那聘使章』のほか「支那韃靼」「亜墨利加」(為八郎,多吉郎『異国事情』)を訳呈。同11年本木正栄らの英和対訳辞書『諳厄利亜語林大成』編纂に協力。文政11(1828)年シーボルト事件に連座し永牢。
(吉田厚子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報