フランク=ヘルツの実験(読み)フランク=ヘルツのじっけん(英語表記)Franck-Hertz's experiment

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フランク=ヘルツの実験」の意味・わかりやすい解説

フランク=ヘルツの実験
フランク=ヘルツのじっけん
Franck-Hertz's experiment

1913年 N.ボーアが提唱した原子エネルギー準位の不連続性を検証するため,14年に J.フランクと G.ヘルツが行なった実験。気体中を電子が通るとき,気体原子の最低のエネルギー準位を E1 ,その次のエネルギー準位を E2 とすると,入射電子のエネルギーが E2E1 より小さければ,電子は原子によって弾性的に散乱されるだけでエネルギーが失われず,入射エネルギーが E2E1 より大きければ,E2E1 だけのエネルギーが気体原子に奪われ,その結果,電子の速度が落ちることが観測された。これは気体原子のエネルギー単位が不連続になっていることの確証であった。この種の実験は,いろいろな原子,分子のエネルギー準位の決定に用いられた。この業績によりフランクとヘルツには,25年にノーベル物理学賞が授与された。

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世界大百科事典(旧版)内のフランク=ヘルツの実験の言及

【フランク】より

…最初,E.G.ワールブルクの下で気体放電の研究を行ったが,まもなくイオンの可動性についての研究に進み,遅い電子と不活性気体原子との衝突を調べ,その過程が弾性衝突であることを見いだした。また13年以降,G.L.ヘルツと共同で電子衝突の研究を行い,14年電子が4.9eV以上の運動エネルギーをもつときにのみ水銀原子にそのエネルギーを与えることができ,そのエネルギーを吸収した水銀原子が2537Åの共鳴線を放出することを見いだした(フランク=ヘルツの実験)。この研究は前年に発表されたボーアの量子論的な原子構造理論に実験的基礎を与えるものとなり,ヘルツとともに25年ノーベル物理学賞を受けた。…

【ヘルツ】より

…54年からライプチヒのカール・マルクス大学教授。1913年以降,J.フランクと共同して,電子と原子や分子との衝突を研究し,14年電子が4.9eV以上の運動エネルギーをもつときにのみ水銀原子にそのエネルギーを与えることができ,一方,そのエネルギーを吸収した水銀原子は2537Åの共鳴線を放出することを見いだした(フランク=ヘルツの実験と呼ばれる)。この研究は,ボーアの量子論的な原子構造理論に実験的基礎を与えるものとなり,25年にフランクとともにノーベル物理学賞を受賞した。…

【量子力学】より

…このボーアの三部作《原子と分子の構成について》は,さらに多電子原子の安定性や分子の結合エネルギーなどを論じている。翌1914年にはJ.フランクとG.ヘルツが電子で原子をたたき,電子のエネルギー損失がちょうど原子の定常状態間のエネルギー差に相当する離散的な値になることを実証した(フランク=ヘルツの実験)。これはエネルギーの離散的な定常状態が光との相互作用に局限されない実在性をもつことを示すものであった。…

※「フランク=ヘルツの実験」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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