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フランク Franck, César Auguste Jean Guillaume Hubert

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フランク
Franck, César Auguste Jean Guillaume Hubert

[生]1822.12.10. リエージュ
[没]1890.11.8. パリ
フランスで活躍したベルギー生れの作曲家,オルガン奏者。リエージュの音楽院で学び,1835年にパリに行き,38年にパリ音楽院に入った。 51年にサン・ジャン・サン・フランソア聖堂,58年にサント・クロチルド聖堂のオルガン奏者となり,終生その職にあった。一方,72年にはパリ音楽院でオルガンを教え,V.ダンディ,E.ショーソン,C.ボルドらの弟子を育成した。また,J.S.バッハの対位法ワーグナーの半音階的和声を基礎に,同じ主題が異なった外観をとって2つ以上の楽章に繰返されるという循環形式を確立し,その後期ロマン派的な作品で人気を得た。主作品は『ピアノ五重奏曲』 (1879) ,『交響曲ニ短調』 (88) ,『弦楽四重奏曲』 (89) ,オルガン曲『3つのコラール』 (90) など。

フランク
Franck, James

[生]1882.8.26. ハンブルク
[没]1964.5.21. ゲッティンゲン
ドイツ系アメリカの物理学者。ハイデルベルク大学で化学を,ベルリン大学で物理学を学び,1906年ベルリン大学で学位取得。ゲッティンゲン大学教授 (1920) 。 12年より G.ヘルツとともに電子衝突による原子の実験的研究を行い,フランク=ヘルツの実験に成功,原子構造が量子的なものであることを実験的に確証した (20) 。この業績によって,25年にヘルツとともにノーベル物理学賞を受賞。 33年ナチスドイツを逃れ,デンマークを経てアメリカに渡った。初めはジョンズ・ホプキンズ大学教授となったが,38年からシカゴ大学教授。第2次世界大戦中はマンハッタン計画に参加したが,日本への原爆投下には反対した。晩年は光合成に伴う諸反応に関心を向けた。

フランク
Frank, Anne

[生]1929.6.12. フランクフルトアムマイン
[没]1945.3? ベルゲン
ユダヤ人で『アンネの日記』の作者。 1933年ナチスの迫害を逃れ一家でオランダに亡命。ドイツ軍がオランダを侵略した 1942~44年,オランダ人の好意でアムステルダムの屋根裏にひそんでいたが密告によって 1944年8月4日ゲシュタポに逮捕され,ベルゲン強制収容所で終戦の直前に姉と同じチフスで亡くなった。隠れ家での生活を多感で繊細な少女の目で書き綴った日記が戦後父親の手で発見され,1952年アメリカで出版されると人々に感銘を与え,30ヵ国語以上に翻訳されベストセラーになった。

フランク
Frank, Il'ya Mikhailovich

[生]1908.10.23. レニングラード
[没]1990.6.22.
ソ連の物理学者。モスクワ大学を終え,レニングラード国立光学研究所に入所 (1931) 。レーベデフ物理学研究所 (34) ,モスクワ大学物理学部長 (44) ,1957年からはドブナの原子核研究室室長を兼ねる。ソ連科学アカデミー会員 (68) 。 37年 I.タムとともにチェレンコフ放射の理論を発表。 58年 P.チェレンコフ,タムとともにノーベル物理学賞受賞。ほかに,γ線,中性子線に関する研究もある。

フランク
Frank, Jerome New

[生]1889.9.10. ニューヨーク
[没]1957.1.13. ニューヘーブン
アメリカの裁判官,法学者。リアリズム法学の代表者の一人。 1912年シカゴ大学卒業後弁護士を開業。会社法専門家として有名になった。 32年エール大学法学部の研究員,33年ニューディール関係の連邦機関の法律顧問を歴任したのち,証券取引委員会委員長となる。 41年から第2巡回区連邦控訴裁判所判事の職を 51年心臓病で倒れるまでつとめ,46~57年エール大学法学部事実認定講座教授を兼任。裁判の事実認定に際して,真実の発見を阻害する多くの要因があることを指摘した。主著,『法と近代精神』 Law and the Modern Mind (1930) ,『裁かれる裁判所』 Courts on Trial (49) 。

フランク
Frank, Johann Peter

[生]1745.3.19. ビルマゼンス
[没]1821.4.24. ウィーン
ドイツの医師。近代公衆衛生学の先駆者。シュトラスブルク,ハイデルベルク両大学で学び,ゲッティンゲン,パビア,ウィーン各大学の教授,バーデン,ロンバルディなどの地方医官,ロシア皇帝アレクサンドル1世の侍医をつとめた。主著『完全な医学警察の体系』 System einer vollständigen medicinischen Polizey (1779) 。

フランク
Frank, Leonhard

[生]1882.9.4. ウュルツブルク
[没]1961.8.18. ミュンヘン
ドイツの小説家,劇作家。徹底した平和主義者として第1次世界大戦中はスイスに亡命,1933年フランスに亡命,40年アメリカへ渡る。表現主義的な小説『群盗』 Die Räuberbande (1914) 以後,社会主義的な立場から著作,戦争と恋愛を巧みにからませた小説『カールとアンナ』 Karl und Anna (27,劇化 29) ,短編集『人間は善良だ』 Der Mensch ist gut (18) ,自伝小説『心臓のある左側に』 Links,wo das Herz ist (52) など。

フランク
Frank, Andre Gunder

[生]1929.2.24. ベルリン
ドイツの経済学者。シカゴ大学で経済学を修め,1962年ブラジルへ移住,チリ大学教授 (1968~73) を経て,1973年チリの軍事クーデターで西ドイツに帰国,1981年以来アムステルダム大学教授。「中枢・衛星構造」という概念を提起して,ラテンアメリカ経済を論じた。そのなかでラテンアメリカ諸国は,資本主義世界体制のなかにとどまるかぎり,国際的・国内的な中枢・衛星という二極連鎖のなかで経済的余剰の収奪を余儀なくされる。また,その低開発の程度は収奪の度合いによって決定づけられるという仮説を展開した。このような「低開発の発展」あるいは「発展の未発達」という主張は,その後の従属論の本格的な開化をもたらすこととなった。主著『世界資本主義と低開発』 Capitalism and Underdevelopment in Latin America (1967) ,『従属的蓄積と低開発』 Dependent Accumulation and Underdevelopment (1979) 。

フランク
Frank,Robert

[生]1924.11.9. チューリヒ
スイス生れのアメリカの写真家。映画のスチール・カメラマンとして出発し,1945年から独立した写真家として活躍を始めた。 47年渡米,以後アメリカを活動の場所とし,翌年ニューヨーク近代美術館で個展を開いた。 58年に刊行した作品集『アメリカ人』は,そのスナップ的な視点で大きな反響を呼起した。以後,映画制作に転じる。 69年からカナダに住む。

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デジタル大辞泉の解説

フランク(Anne Frank)

[1929~1945]ユダヤ人の少女。フランクフルトの生まれ。ナチス迫害を避けるため、家族とともにアムステルダムの隠れ家に移り住む。2年後に強制収容所に送られ、病死没後、隠れ家での生活を綴った「アンネの日記」が父オットーにより出版された。

フランク(César Auguste Franck)

[1822~1890]フランスの作曲家・オルガン奏者。バッハなどのドイツ音楽の手法を受け継ぎ、晩年独自の形式を確立。作品に、オルガン曲、バイオリンソナタのほか「交響曲ニ短調」など。

フランク(James Franck)

[1882~1964]米国の物理学者。ドイツの生まれ。G=L=ヘルツとともに、ボーアが仮定した原子の不連続エネルギー準位の存在を証明。1925年、ノーベル物理学賞受賞。

フランク(frank)

[形動]気どったところがないさま。ざっくばらん。率直。「フランクな性格」「フランクに話す」

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

百科事典マイペディアの解説

フランク

ベルギー生れのフランスの作曲家。リエージュでワロン人の父とドイツ人の母の間に生まれる。同地の音楽院を経て1837年パリ音楽院コンセルバトアール)に入学,ピアノ,オルガン,対位法を学ぶ。
→関連項目アリアオルガン標題音楽ルーセル

フランク

ドイツ出身の米国の物理学者。1920年ゲッティンゲン大学教授。G.ヘルツと協力して,水銀等の原子に種々の運動エネルギーをもつ電子をあて,原子のエネルギー吸収があるとびとびの値をもって行われること(エネルギー準位の存在),およびこれにより励起された原子が放出するスペクトルの振動数に量子的関係が成立することを明らかにし,ボーアの原子構造論(原子構造)に実験的裏づけを与えた。

フランク

いわゆる《アンネの日記》を書いた少女として知られる。ドイツのフランクフルト・アム・マインのユダヤ系実業家の家に生まれ,1933年アムステルダムに移住。ドイツ占領下で家族とともに隠れ住んだが1944年8月逮捕され,1945年3月ベルゲン・ベルゼン収容所で病死した。
→関連項目アンネの日記

フランク

フランケンとも。西ゲルマンに属する部族。Frankとは本来自由,大胆を意味する語で,古くはこの部族名はなかったが,3世紀ころから,ライン川東岸中下流域に居住するサリ族,リプアリア族などの多くのゲルマン小部族を漠然と示す呼称になった。
→関連項目イタリア民族大移動

フランク

ソ連の物理学者。モスクワ大学を出て,1934年レーベデフ物理学研究所員,1944年モスクワ大学教授。タムと協力しチェレンコフ効果の数学的理論を展開,チェレンコフ,タムとともに1958年ノーベル物理学賞。
→関連項目チェレンコフ

フランク

米国の写真家,映画作家。チューリヒ生れ。1941年ころからチューリヒで写真スタジオの見習や,映画のスチール撮影などの仕事をする。1947年ニューヨークに移り,雑誌《ハーパーズ・バザー》《ジュニア・バザー》にファッション写真家として採用される。
→関連項目ウィノグランドメカス

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて 情報

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)の解説

フランク

ベルギーに生まれ主にフランスで活躍したが、国籍の問題で学校への入学を拒否された経験を持つ。また、当事の神童を騒ぎ立てもてはやす風潮に幼いフランクも巻き込まれ、このような複雑な文化的背景や両親からの干渉 ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

フランク【Anne Frank】

1929‐45
いわゆる《アンネの日記》で知られる少女。ユダヤ系実業家の娘としてドイツのフランクフルト・アム・マインに生まれ,1933年アムステルダムに移住する。ドイツ占領下のアムステルダムでユダヤ人の強制移送を逃れるため,42年夏から家族とともに民家の屋根裏に隠れ住む。44年8月逮捕され45年3月ベルゲン・ベルゼン収容所で病死した。隠れ家での生活をつづった日記は,46年父親の手で刊行され,ナチスによるユダヤ人迫害に対する比類のない告発として全世界に知られるにいたった。

フランク【César Franck】

1822‐90
ベルギー生れのフランスの作曲家,オルガン奏者,教育者。息子をピアニストにすることを夢見た父親の計画に従ってリエージュの音楽院,次いでパリ音楽院で学んだ。しかし彼は父親の期待に反して作曲に関心を寄せたため,1842年音楽院を退学させられ,演奏活動にはいったが成功しなかった。その後専制的な父親のもとを離れた彼は,生徒を教え,教会のオルガン奏者を務めながら作曲に専心した。1858年パリのサント・クロティルド教会のオルガン奏者となり,オルガニストとしての評価がしだいに高まる。

フランク【James Franck】

1882‐1964
アメリカの物理学者。ドイツのハンブルクの生れ。ハイデルベルク大学で化学を学ぶが,1902年ベルリン大学に移って物理学に転ずる。最初,E.G.ワールブルクの下で気体放電の研究を行ったが,まもなくイオンの可動性についての研究に進み,遅い電子と不活性気体原子との衝突を調べ,その過程が弾性衝突であることを見いだした。また13年以降,G.L.ヘルツと共同で電子衝突の研究を行い,14年電子が4.9eV以上の運動エネルギーをもつときにのみ水銀原子にそのエネルギーを与えることができ,そのエネルギーを吸収した水銀原子が2537Åの共鳴線を放出することを見いだした(フランク=ヘルツの実験)。

フランク【Jerome Frank】

1889‐1957
アメリカの法律家でリアリズム法学の代表的論客の一人。1912年シカゴ大学卒業後長く弁護士として活躍した。リアリストの多くと同じく,ニューディール政策の支持者であり,みずからも証券取引委員会(SEC)の委員長として同政策の推進に当たった。41年以後は第2巡回控訴裁判所判事の地位にあった。 フロイトの精神分析学の成果を法学に採り入れた《法と現代精神》(1935)やゲシュタルト心理学の影響が見られる《裁かれる裁判所》(1949)等の著者としても著名で,裁判過程の不確実性を強調する点において他のリアリストと共通するが,フランクの場合は,判決の構成要素とされる法規範と事実のうち,とりわけ後者に不確実性の由来を求める点に特徴を見出すことができ,みずからの立場を事実懐疑論fact scepticismとして,ルーウェリン等の規範懐疑論rule scepticismと区別した。

フランク【Johann Peter Frank】

1745‐1821
ドイツの医学者。近代公衆衛生学の創始者の一人。ドイツのロータルベンに生まれた。フランスで哲学を学んだ後,1766年にハイデルベルク大学で医師試験に合格し,ロートリンゲンのビッチやドイツのバーデンで臨床経験を積んだ。この時期に,妻を産褥(さんじよく)熱で,子どもを痘瘡(とうそう)で亡くしたことも一因となり,公衆衛生に関する百科全書的著作に取り組む決意を固めた。バーデン・バーデンとラシュタットで宮廷医を経験しつつ著述をすすめ,79年に《医事行政大系》第1巻を刊行した(全6巻は1817年に完結)。

フランク【Robert Frank】

1924‐
アメリカの写真家。スイスのチューリヒに生まれ,ジュネーブバーゼルなどの商業写真家の下で写真の勉強をする。1947年ニューヨークに渡り《ハーパーズ・バザー》でファッション写真の仕事をする。その後南アメリカやスペイン,イギリスを旅行しながら写真を撮るが,52年再びニューヨークに戻り,55年外国人としてはじめてグッゲンハイム財団奨学金を受けた。それをもとに約2年間アメリカ中を自動車でまわり写真を撮り,写真集《アメリカ人》(1958)を出版した。

フランク【Sebastian Franck】

1499‐1542
宗教改革期のドイツにおける代表的な心霊主義者。初めルター主義者だったが,あらゆる既成教会における内なる霊の疎外現象に気づき,無党派的心霊主義者となり,文筆をもってそれを批判し続けた。彼の理念は,あらゆる外的なものを捨て去り,不可視なる神の言葉によってのみ統治される見えざる霊の教会であった。正統派に迫害されたが,彼の思想は,オランダに受け継がれ,宗教的寛容を培った。著書に《歴史聖書》(1531),《背理》(1534),《ゲルマニア》(1539)などがある。

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大辞林 第三版の解説

フランク【Franck】

〔César Auguste F.〕 (1822~1890) ベルギー生まれのフランスの作曲家・オルガン奏者。晩年に循環形式を中心とした緻密な構成によるすぐれた作品を多数作曲。代表作「交響曲ニ短調」「弦楽四重奏曲」、他にオルガン曲など。
〔James F.〕 (1882~1964) ドイツ生まれのアメリカの物理学者。 G =ヘルツとともにフランク-ヘルツの実験と呼ばれる方法で、ボーアが仮定した原子のエネルギー準位の不連続性を確かめた。

フランク【Frank】

〔Andre Gunder F.〕 (1929~2005) ドイツ出身の経済学者。ラテン-アメリカの従属理論・低開発の発展の理論で知られる。著「従属的蓄積と低開発」など。
〔Robert F.〕 (1924~ ) スイス出身の写真家。アメリカ全土を自動車で回り、揺れ動く視線で情景を記録した写真集「アメリカ人」で衝撃を与える。映画作家としても活躍。

フランク【Frank】

西ゲルマンの一部族。民族大移動期にライン川東岸の原住地を保持しつつガリア地方に勢力を拡大し、五世紀末フランク王国を建国。

フランク【frank】

( 形動 )
率直なさま。遠慮のないさま。 「 -に話す」 「 -な態度」

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

367日誕生日大事典の解説

フランク

生年月日:1745年3月19日
ドイツの医師
1821年没

フランク

生年月日:1889年8月25日
アメリカの批評家,小説家
1967年没

フランク

生年月日:1889年9月10日
アメリカの裁判官,法学者
1957年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典内のフランクの言及

【バイオリン】より

…メンデルスゾーンの《バイオリン協奏曲》にはダーフィトFerdinand David(1810‐73)が協力し,J.ヨアヒムのためには,シューマン,ブルッフ,ブラームス,ドボルジャークなどが優れた協奏曲を書いている。高度の名人芸を優れた音楽性に結びつけようとした19世紀後半のバイオリン曲には,同時代の名演奏家P.deサラサーテにささげられたE.ラロの《スペイン協奏曲》(1873)やサン・サーンスの《バイオリン協奏曲第3番》(1880),またソナタとしては,ブラームスの3曲(1879,86,88),ベルギーの名手E.A.イザイエにささげられたC.フランクの傑作(1886),ノルウェーの抒情性に富んだE.グリーグの第3番(1887)などがあり,今日の演奏会の重要な曲目を形成している。 調性を離れた革新的な作曲語法の探究という20世紀音楽のおもな潮流は,バイオリンの旋律的性格とは異質な音響世界の構築へと向かった。…

【フランス音楽】より


[中世]
 4~8世紀,キリストの教会の一分枝であるガリア教会は,独自の典礼と聖歌を実践していた。資料が乏しいためその実体は不詳だが,フランク国王ピピンが,政治的理由と広域にわたっている臣下を一つの精神的な共同体に包み入れる目的とで,754年ローマ教会の典礼と聖歌(グレゴリオ聖歌)を用いることに踏み切ったのち,後者にガリア聖歌ほかの地方的な聖歌は吸収されていったようである。ただし今日のグレゴリオ聖歌の曲目には,8~9世紀ガリア地方で形成されたものが多いと考えられている。…

※「フランク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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