宮薗千寿(初代)(読み)みやぞの せんじゅ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「宮薗千寿(初代)」の解説

宮薗千寿(初代) みやぞの-せんじゅ

1806-1868 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫
文化3年生まれ。江戸日本橋茶屋宇治の里」の主人清三郎の妻。初代宮薗千之(せんし)の門人で,師の没後家元をあずかった。文久元年(1861)宮薗節の古典10段を「千草種(ちぐさのたね)」として刊行。慶応4年4月死去。63歳。本名しま

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朝日日本歴史人物事典 「宮薗千寿(初代)」の解説

宮薗千寿(初代)

没年:明治1.4(1868)
生年:文化3(1806)
江戸後期の宮薗節の太夫。初代宮薗千之の弟子日本橋の茶漬茶屋宇治の里清三郎の妻で名はしま。文久1(1861)年に,古曲10段を収めた『宮薗千草種』を刊行。現在千寿の名は,宮薗節千寿派の家元名となっている。

(根岸正海)

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