山彦源四郎(読み)やまびこげんしろう

改訂新版 世界大百科事典 「山彦源四郎」の意味・わかりやすい解説

山彦源四郎 (やまびこげんしろう)

河東節三味線方。4世まであるが初世がもっとも有名。(1)初世(?-1756(宝暦6)) 本名村上源四郎。初世江戸半太夫弟子と伝える。1717年(享保2)初世十寸見(ますみ)河東河東節創立に参加,以後4世河東まで弾き,河東節三味線のスタイルを確立した。その姓は,3世石村近江作の山彦銘の三味線を入手してからという。(2)2世(?-1792(寛政4)) 初世の門弟孫四郎の子。のち初世の養子となり,1774年(安永3)ころ2世を襲名した。5世,6世河東を弾く。作曲作品に《道成寺》《常陸帯(ひたちおび)》などがある。(3)3世(?-1818(文政1)) 2世の子。7世河東を弾いた。1791年(寛政3)3世を襲名。作曲作品に《源氏十二段》などがある。
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世界大百科事典(旧版)内の山彦源四郎の言及

【十寸見河東】より

…江戸日本橋魚商の子で初世江戸半太夫の門に入り,半太夫節に手品節,式部節などを加えて1717年(享保2)春,江戸市村座で《松の内》を語って一派を樹立した。高弟に河丈(2世河東,?‐1734),河洲(3世河東,?‐1745)があり,初世山彦源四郎と河東節を完成させた。4世(?‐1771)は3世の甥で,代表曲《助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)》を完成し,6世(1727‐96)以降の劇場出演はこの曲以外は出演しなくなった。…

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