道成寺(読み)ドウジョウジ

デジタル大辞泉 「道成寺」の意味・読み・例文・類語

どうじょう‐じ〔ダウジヤウ‐〕【道成寺】

和歌山県日高郡日高川町にある天台宗の寺。山号は天音山。開創は寺伝によれば大宝元年(701)、開山は義淵、開基は紀道成きのみちなり。安珍と清姫の伝説で有名。鐘巻寺。日高寺。→安珍清姫あんちんきよひめ
謡曲。四番目五番目物。道成寺伝説などに取材し、恋に狂った女の執念の恐ろしさを描いたもの。歌舞伎舞踊・沖縄舞踊などに大きな影響を与えている。→道成寺物
三島由紀夫の戯曲。をモチーフとする1幕の近代劇。昭和32年(1957)「新潮」誌に発表。初演は著者没後の昭和54年(1979)、芥川比呂志の演出による。「近代能楽集」の作品のひとつ。
人形美術家、川本喜八郎による短編の人形アニメーション作品。昭和51年(1976)制作。安珍清姫伝説を題材に、主人公を娘から寡婦に置き換えた作品。毎日映画コンクール大藤信郎賞、メルボルン映画祭特別賞、アヌシー国際アニメーション映画祭エミールレイノー賞および観客賞等を受賞。

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精選版 日本国語大辞典 「道成寺」の意味・読み・例文・類語

どうじょう‐じダウジャウ‥【道成寺】

  1. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 和歌山県日高郡日高川町鐘巻にある天台宗の寺。山号は天音山。大宝元年(七〇一文武天皇の勅願により、開山は義淵(ぎえん)、紀道成の創建と伝えられる。安珍清姫の伝説で有名。鐘巻寺。千手院
    2. [ 二 ] 謡曲。四番目物。各流。作者未詳。古曲「鐘巻(かねまき)」を短く改作したもの。紀州道成寺の鐘供養に参詣した白拍子が女人禁制の寺内にはいり込み、舞を舞いながら鐘に近づきその中に飛び込むと鐘は落下する。住僧は、昔、荘司の娘に慕われてこの寺に逃げてきた山伏がつき鐘に隠れたところ、娘の執念が蛇体となって鐘に巻きつき、鐘をとかして山伏を殺したといういわれを語り、その白拍子こそが娘の怨霊だろうと祈念をする。すると鐘は再び上がり、中から蛇体となった娘が現われ鐘にたたりをなそうとしたが、祈り伏せられ日高川に飛び入って姿を消す。道成寺伝説に基づいた作で、この道の芸の登龍門であるだけでなく、後世の文芸に大きな影響を及ぼした。
    3. [ 三 ]京鹿子娘道成寺」を代表とする道成寺伝説を素材にした歌舞伎狂言
  2. [ 2 ] 一般に、道成寺物を演じること。また、その興行。これが演じられると必ず雨が降るといわれた。
    1. [初出の実例]「出来すぎて雷落る道成寺」(出典:雑俳・冠独歩行(1702))

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日本歴史地名大系 「道成寺」の解説

道成寺
どうじようじ

[現在地名]川辺町鐘巻

鐘巻かねまき西部の小高い地にあり、境内には本堂を中心に護摩堂・三重塔・仁王門・念仏堂・釈迦堂・十王堂・宝物殿・縁起堂・僧坊などが立並ぶ。天音山千手院と号し、天台宗。本尊は千手観音。俗に鐘巻寺ともよばれる。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔開創〕

寺伝によれば、大宝元年(七〇一)文武天皇の勅願によって、開山を法相宗の義淵、紀道成を建立奉行として創建されたという。文武天皇の勅願になるとの説は、現在、京都市左京区の妙満みようまん寺に伝えられる正平一四年(一三五九)鋳造の道成寺の鐘銘に「文武天皇勅願道成寺冶鋳鐘」とみえるのが早い。この文武天皇勅願による開創の前史として、次のような説話が伝えられる。当時この辺りは入江で、ある時、海中に光りものがあり、海人が海中を探索し、拾い上げると丈一寸八分の閻浮檀金でできた千手観音像であった。海人は庵を結び像を祀った。海人には成長しても頭髪の生えない娘がいたが、この像に願ったところ黒髪が生じ、美しい娘となった。のちこの娘は文武天皇の后となり、后より観音の利益を聞いた天皇が道成寺建立の発願を勅したという。そうして海中出現の千手観音は、義淵の刻んだ千手観音の胸中に納められたと伝える。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「道成寺」の意味・わかりやすい解説

道成寺(能)
どうじょうじ

能の曲目。四番目物、または五番目物にも。五流現行曲。観世(かんぜ)小次郎信光(のぶみつ)作。『今昔物語』などを典拠とする。能役者の技術習得卒業認定の曲として、各流、各役ともに重い習いとする大曲。舞台に実物大の鐘が吊(つ)り上げられる。紀州道成寺の僧(ワキ)が新しい鐘の鐘供養を行うことを告げ、寺男(間(あい)狂言)に女人禁制の触れを命じる。白拍子(しらびょうし)(前シテ)が登場し、他の女とは違うと説得して寺に入り、美しく舞う。小鼓とシテの一騎打ちともいうべき、「乱拍子(らんびょうし)」の、極度の沈黙と緊迫の演技は、たちまち一転して激しい「急の舞」となる。女が鐘に手をかけて跳ぶと、鐘後見が瞬時にこれを落とし、女の姿をおおう。危険な離れ技である。地震か雷かと驚く寺男は、鐘の落下を僧に報告する。僧は従僧(ワキツレ)に、真砂(まなご)の荘司(しょうじ)の娘に恋された山伏が、娘から逃れてこの寺の鐘に隠れたが、娘は毒蛇となって鐘に巻き付き、ついには鐘を溶かしてしまったという、その女の執念を物語り、鐘に向かって必死に祈る。引き上げられた鐘から、女は蛇体(後(のち)シテ)となって現れ、祈りの力と激しく争うが、力尽きて日高(ひだか)川に飛び込んで終わる。原作の『鐘巻(かねまき)』は、山形県の黒川能に今日も継承されているが、五流の『道成寺』は戯曲上の不自然さを犯してまで『鐘巻』の内容を切り詰め、そのかわり演出を極限まで先鋭化している。壬生(みぶ)大念仏狂言や山伏神楽(かぐら)などの民俗芸能、浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)、沖縄の組踊から、三島由紀夫の『近代能楽集』に至るまで、大きな影響を与え、道成寺物の系列を生んだ。

増田正造

道成寺物

歌舞伎・浄瑠璃の一系統。おもに歌舞伎舞踊で、能『道成寺』から出発した作品群をいう。劇的で人気のある題材なので、早くから通し狂言の一部として取り入れられた。延宝(えんぽう)(1673~81)年中に2世玉川千之丞(せんのじょう)が演じたのが最古の記録で、元禄(げんろく)期(1688~1704)にも榊山(さかきやま)小四郎、初世水木辰之助(みずきたつのすけ)が得意とし、舞踊劇として完成したのは1731年(享保16)3月江戸・中村座で初世瀬川菊之丞が演じた『無間鐘(むけんのかね)新道成寺』(通称「傾城(けいせい)道成寺」「中山(なかやま)道成寺」)。その後、同じ菊之丞が踊った『百千鳥(ももちどり)娘道成寺』(1744)を経て、初世中村富十郎が1753年(宝暦3)3月、中村座の『京鹿子(きょうがのこ)娘道成寺』で旧来の曲を集大成、これが決定版となり、以後はその変形として『双面(ふたおもて)道成寺』『奴(やっこ)道成寺』『二人(ににん)道成寺』『紀州道成寺』などが生まれた。なお、浄瑠璃義太夫(ぎだゆう)節では安珍清姫伝説を劇化した浅田一鳥(いっちょう)・並木宗輔(そうすけ)作『道成寺現在蛇鱗(げんざいうろこ)』(1742)が代表作で、これを粉本とする竹田小出雲(こいずも)・近松半二(はんじ)ら作の『日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)』(1759)が今日も文楽(ぶんらく)や歌舞伎で上演されている。

[松井俊諭]

『郡司正勝他編『道成寺』(1982・小学館)』


道成寺(和歌山県)
どうじょうじ

和歌山県日高川町鐘巻にある天台宗の寺。天音山千手院(てんのんざんせんじゅいん)と号する。本尊は千手観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)。701年(大宝1)、文武(もんむ)天皇の発願により、紀大臣(きのおおおみ)道成(みちなり)が后妃宮子の生誕の地に、法相(ほっそう)宗の義淵(ぎえん)僧正(?―728)を開山とし、義淵手刻の千手観音を本尊として創建したと伝える。事実、寺境と周辺からは8世紀初頭の開創を裏づける白鳳(はくほう)期の瓦(かわら)類が出土している。熊野参詣(くまのさんけい)の順路にあたるため栄え、全盛期には荘園(しょうえん)180余町、僧房16を数えた。1359年(正平14・延文4)につくられた梵鐘(ぼんしょう)は、天正(てんしょう)期(1573~92)に豊臣(とよとみ)秀吉によって土中から掘り出され、現在京都の妙満寺にある。法相宗から真言(しんごん)宗に転じ、承応(じょうおう)年間(1652~55)天台宗となった。当寺は安珍(あんちん)・清姫(きよひめ)の伝説で名高い。これは平安中期の『法華験記(ほっけげんき)』所収の説話によると、熊野参詣の途中一夜泊まった若い僧安珍が、その家の娘清姫に帰途寄ることを約しながら寄らなかったため、清姫が蛇となって追いかけ、道成寺の鐘の中に隠れた安珍を焼き殺した。しかし、蛇となった清姫も殺された安珍も、老僧の『法華経(ほけきょう)』書写の功徳によって仏の浄土に生まれることができたというものである。鎌倉時代に『道成寺縁起』二巻の絵巻物ができ、能楽、歌舞伎(かぶき)、文楽、長唄(ながうた)、浄瑠璃(じょうるり)などに取り入れられて全国に広まった。

 千手観音立像、日光・月光菩薩像(以上、1994年国宝指定)、室町時代建立の本堂、仁王(におう)門、毘沙門天(びしゃもんてん)像、十一面観音像(秘仏)、四天王像四体、紙本着色道成寺縁起二巻、色紙墨書千手千眼陀羅尼(だらに)経(以上国重要文化財)などのほか、多くの寺宝がある。縁起堂では縁起絵巻による絵解き説法が常時行われ、また4月27日には失われた鐘の供養会式が行われる。

[田村晃祐]


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改訂新版 世界大百科事典 「道成寺」の意味・わかりやすい解説

道成寺 (どうじょうじ)

和歌山県日高郡日高川町の旧川辺町にある寺。天音山千手院と号する。はじめ法相宗,のち真言宗に転じ,1652年(承応1)から天台宗。俗に鐘巻寺とも呼ばれる。大宝年間(701-704)文武天皇が紀大臣道成に勅願寺として創建させたという。最近の発掘調査で金堂,講堂,塔,僧房,中門,倉庫の遺構が明らかとなり,出土瓦などから8世紀初頭の創建が確認され,寺地の裏山に古墳群があることから,豪族の私寺の可能性も検討されている。《道成寺縁起》の主人公が熊野詣の修行僧であり,寺の門前が日高川の渡し場にあたることから,平安中期以降に盛んとなった熊野詣にともない,道成寺の霊験や縁起が語られ,都鄙に流布して寺名も高まったと考えられる。1359年(正平14・延文4)領主の源万寿丸の発願で梵鐘が作られたが,この鐘は天正年間(1573-92)豊臣秀吉が法華宗の京都妙満寺に移し,今この寺に現存する。近世の寺領はわずか5石だったが,江戸後期には江戸や京都で本尊の千手観音像や縁起絵の出開帳が行われ,また安珍・清姫の物語が盛んに上演されたので,道成寺はますます庶民の間で有名となった。いまも縁起堂で絵巻を使って参詣者に絵解き説法が行われている。現代風に内容はアレンジされているが,絵巻を広げるための見台が置かれ,片側から巻きながら絵解き説法がなされ,中世の絵解法師の活躍をしのばせて貴重である。また寺には元三大師良源の姿を写したという豆大師,角大師(つのだいし)と呼ぶ護符があり,民間でこの護符を家の門口に張って疫病よけにする風習がある。

 重要文化財として,建物では本堂と仁王門,仏像に千手観音像,十一面観音像,菩薩像,毘沙門天像2体,四天王像4体,絵画に紙本著色《道成寺縁起》,その他色紙墨書千手千眼陀羅尼経があって,文化財の宝庫となっている。なお三重塔の前に安珍塚,境外の西に蛇塚など,伝説ゆかりの名跡も残る。
安珍・清姫 →道成寺物
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道成寺 (どうじょうじ)

能の曲名。四番目物。原作である《鐘巻(かねまき)》は観世信光作。シテはまなごの長者の娘の怨霊(おんりよう)。紀伊の国道成寺の釣鐘が失われてから時が久しくたった。その再興の日のこと,住職(ワキ)は能力(のうりき)(アイ)に女人禁制を申し渡す。そこへ白拍子の女(前ジテ)が来て能力に頼みこみ,舞を見せることを条件に寺内に入れてもらい,乱拍子(らんびようし)など舞ううち,隙をうかがって鐘に近づくと鐘は落下し,女はその中に消えた(〈乱拍子・急ノ舞・ノリ地〉)。能力から知らされた住職は,それは怨霊の仕業であろうと次のように物語る。昔,この国のまなごの長者の娘に慕われた山伏が,この寺に逃げて来たので,寺では釣鐘を下ろして隠したところ,娘は執心のあまり大蛇となって追いすがり,鐘に巻きつくと鐘は溶けて山伏は死んだというのである(〈語リ〉)。先の白拍子はその娘の怨霊であろうと,住職たちが鐘に向かって祈ると,鐘は再び上がり,鬼女(後ジテ)の姿が現れる。鬼女は僧にいどみかかるが,祈禱の力に負けて逃げ去って行く(〈祈リ・中ノリ地〉)。

 恋の執念を描いた能だが,いちばんの見どころは前ジテの舞う乱拍子である。この舞は,小鼓の打音と鋭い掛声に合わせて,足を踏み出したり,爪先やかかとを上げ下ろししたりする所作を繰り返し,囃子の段ごとに足拍子を踏んで区切りをつけていく。その一つ一つの足遣いの間に,長い間合いを計るコミが置かれ,他の舞事(まいごと)とは趣をまったく異にする。この乱拍子をはじめ,続いて奏演する急ノ舞,舞台中央に釣り下げられた鐘に飛び入る中入(なかいり)と,緊張が長時間続くので,体力を要する能といわれ,重い習物(ならいもの)とされている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「道成寺」の意味・わかりやすい解説

道成寺【どうじょうじ】

(1)能の曲目。作者不明(一説に観世信光作とも)。四番目物。怨霊(おんりょう)物。五流現行。恋を裏切られた女の執念を主題とする。舞い狂う白拍子が恨みの鐘にとび込むと,瞬間鐘を落下させる大胆な着想,蛇体となってからの住僧との抗争など演出の妙を尽くす。後世の演劇への影響が大きい。(2)能を翻案した歌舞伎舞踊・邦楽曲の通称。〈道成寺物〉とも総称される。《道成寺縁起》などに取材したものも含まれる。長唄を主として,地歌・箏曲・浄瑠璃・新内節・河東節・一中節など,ほとんどの種目で各種の道成寺物が行われる。内容的には,能のワキ語りに基づいて,蛇体となった女が逃げる男を追いかけ焼き殺す話を中心とするものと,その後日譚を扱ったものの2系統が主体をなすが,そのほかに演出に工夫を凝らしたものも多い。現行曲の中では,《娘道成寺》が最も有名。
→関連項目組踊桜間伴馬所作事日高川伝説

道成寺【どうじょうじ】

和歌山県川辺町(現・日高川町)にある天台宗の寺。本尊千手観音。文武天皇の勅願により,701年(大宝1年)に紀道成が創建したと伝える。日高川伝説で名高く,《道成寺縁起絵巻》がある。本堂・仁王門,木造十一面観音立像,千手千眼陀羅尼経などの重要文化財がある。
→関連項目絵解き川辺[町]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「道成寺」の意味・わかりやすい解説

道成寺
どうじょうじ

和歌山県日高川町にある天台宗の寺。号は天音山千手院。俗に日高寺という。大宝1 (701) 年文武天皇の勅願により大臣紀道成 (きのみちなり) が建立。義淵僧正作の千手観音立像 (国宝) を安置する。安珍,清姫の伝説で名高く,境内にその旧跡がある。伝説とは,熊野参詣の山伏安珍が真名古庄司のもとに宿った際,庄司の娘清姫に慕われ,激しく言い寄られ,やむなく偽ってそこを逃れ,道成寺に逃げ込んで鐘の下に身を隠したが,清姫は怒りと執念のあまり大蛇と化してあとを追い,鐘に巻きついて安珍を焼き殺すという話。後日譚があり,この事件以来道成寺には鐘がなかったが,鐘を再興して鐘供養をしたところ,白拍子が現れ,舞を舞ううちに蛇体となって鐘を襲おうとしたが,僧たちに祈り伏せられたという。

道成寺
どうじょうじ

能の曲名。四番目物 (→雑物 ) 。作者未詳。紀州道成寺で釣鐘再興の日,白拍子 (シテ) が訪れ,拝観を願う。舞を見せるならと寺僧の許しを得,白拍子は烏帽子をつけて (物着) 舞う (乱拍子,急ノ舞) が,次第に鐘への恨みが現れ,鐘の中へ飛入る。寺の能力がびっくりして寺僧 (ワキ) を呼ぶと,僧は,昔,熊野詣での山伏に恋いこがれた真名古庄司の娘が蛇体となって,道成寺の鐘に隠れひそむ山伏を焼殺し,わが身も果てたという,鐘のいわれを語る。僧たちが鐘に祈ると,鐘の内から蛇体 (後ジテ) が現れ,障害をなすが,ついには祈り伏せられる (祈) 。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「道成寺」の解説

道成寺
どうじょうじ

和歌山県日高川町にある天台宗の寺。天音山千手院と号す。大宝年間に文武天皇の勅願寺として義淵(ぎえん)が創建。はじめ法相宗の寺院,のち真言宗,さらに天台宗に改宗。江戸時代に紀伊徳川家の保護をうけて栄えた。安珍・清姫の伝説で有名。土佐光重の絵,後小松院の詞と伝えられる「道成寺縁起」をはじめ,本堂・仁王門・千手観音立像・十一面観音立像・四天王立像はいずれも重文。

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デジタル大辞泉プラス 「道成寺」の解説

道成寺

和歌山県日高郡日高川町にある寺院。天台宗。山号は天音山、院号は千手院。701年創建と伝わる。本尊の千手観音像、日光・月光菩薩像などはいずれも平安時代初期の作で、国宝に指定。能や歌舞伎の演目にある安珍・清姫伝説の舞台。

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「道成寺」の解説

道成寺
(通称)
どうじょうじ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
元の外題
三世道成寺 など
初演
元禄14.7(江戸・森田座)

道成寺
どうじょうじ

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
初演
正保3(江戸)

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世界大百科事典(旧版)内の道成寺の言及

【鐘巻】より

…シテは白拍子,実は女の怨霊。現行演目《道成寺》の原作で,筋立ても主要部分の詞章もほぼ同じだが,次のような違いがある。道成寺の釣鐘再興の供養を拝みにきた白拍子が,女人禁制だと断られ,愁嘆する場面がある。…

【後見】より

…なお,ワキ方や囃子方各役にも演目と必要に応じて後見が登場する。顕著な例は能《道成寺》で,鐘引き後見を含めてシテ方8人,狂言方4~6人,囃子方4人の後見が動員される。【羽田 昶】(2)歌舞伎,日本舞踊で,演者のかげにいて演技の補助をする役。…

【素声】より

…能楽では,謡のクズシの音階をシラコエという立場がある。また,《道成寺》で用いられる乱拍子という舞事において,小鼓方は大部分の掛声を,裂帛の気合いをこめて発するが,音高,音量ともごく低くおさえて発する特定の声があり,それをシラコエという。【蒲生 郷昭】。…

【道成寺物】より

…日本の芸能,音楽の一系統。紀州の道成寺伝説を扱って安珍・清姫を登場させるが,能の《道成寺》の影響を受けているものが多い。単に《道成寺》と称するもの,題名中に〈道成寺〉の語を含むもののほか,清姫が蛇身となって日高川を渡り道成寺へ安珍を追うことから〈日高川〉を題名に含むものもある。…

【用明天王職人鑑】より

…5段。仏法を日本に流布させた聖徳太子の伝説を中心に,能の《道成寺》,幸若舞曲の《烏帽子折(えぼしおり)》などの趣向をとり入れている。敏達天皇の御世,同腹の皇弟山彦皇子は外道を信じ,仏法を信じる異腹の弟花人親王(のちの用明天皇)と法力比べの末に敗れた。…

※「道成寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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