石村近江(5代) いしむら-おうみ
?-1708 江戸時代前期-中期の三味線製作者。
歴代の近江のうちもっとも有名で,近江の焼き印をはじめて使用した。三味線の胴の内側に綾杉(あやすぎ)と称するかんなの目をきざんだという。元禄(げんろく)以降に活躍し,その風体から「総髪善兵衛」「がっそう善兵衛」などとあだ名された。宝永5年11月9日死去。江戸出身。名は忠次。通称は善兵衛。号は性真。
石村近江(9代) いしむら-おうみ
?-1787 江戸時代中期の三味線製作者。
8代石村近江の弟子。文政末の随筆集「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」によれば,「9代は祖先にはじない名人で,古近江か新近江かで巧拙を論じてはならない」とある。天明7年1月22日死去。名は忠豊。通称は太兵衛。号は春峰,孤雲。
石村近江(2代) いしむら-おうみ
?-1636 江戸時代前期の三味線製作者。
初代は源三と称し京都で活動したが,2代目からは江戸にうつり,「江戸元祖浄本近江」を称した。ふるい代の作品は古近江といわれて珍重され,当時の小説や川柳にもよまれている。寛永13年3月2日死去。通称は源左衛門。
石村近江(7代) いしむら-おうみ
?-1715 江戸時代中期の三味線製作者。
6代の実子(8代近江)が幼少だったため弟子の宗忠が跡をつぐ。5代以後もちいられた「近江」の焼き印は,7代のときあたらしい焼き印にあらためられた。正徳(しょうとく)5年2月16日死去。号は相流。
石村近江(6代) いしむら-おうみ
?-1716 江戸時代中期の三味線製作者。
5代石村近江の子。初代以来6代までは実子がついだ。名器といわれる「古近江」の作者は,4代までとする説と6代までとする説がある。正徳(しょうとく)6年1月9日死去。名は忠貞。号は本立。
石村近江(11代) いしむら-おうみ
?-1865 江戸時代後期の三味線製作者。
石村近江は11代をもってたえたとされる。12代は江戸浄瑠璃(じょうるり)の河東節(かとうぶし)の間で知られた名工の小林幸栄がついだともいう。慶応元年5月21日死去。号は琴誉,秀本。
石村近江(4代) いしむら-おうみ
?-1696 江戸時代前期の三味線製作者。
3代石村近江の子。「雷電」「小蝶」などの作品が知られ,そのおおくは紀伊国屋文左衛門が所持したという。元禄(げんろく)9年1月27日死去。名は忠政。号は浄心(真)。
石村近江(3代) いしむら-おうみ
?-1657 江戸時代前期の三味線製作者。
2代石村近江の子。作品では「十二調子」が知られ,奈良屋茂左衛門が所持したという。明暦3年8月25日(一説には1月19日とも)死去。名は忠義。通称は源左衛門。
石村近江(10代) いしむら-おうみ
?-1804 江戸時代後期の三味線製作者。
「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」に,出羽(でわ)山形藩主秋元家が名工の家系断絶をおしみ支援したとある。文化元年8月19日死去。号は月峰。
石村近江(8代) いしむら-おうみ
?-1785 江戸時代中期の三味線製作者。
父は6代石村近江。病身のためか,はやくに弟子の忠豊に9代をつがせたという。天明5年2月18日死去。名は忠睦。通称は善五郎。号は倫超。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例