石村近江(読み)いしむらおうみ

改訂新版 世界大百科事典 「石村近江」の意味・わかりやすい解説

石村近江 (いしむらおうみ)

三味線作者。11世まであり,名工として知られた人が多く出たが,古い代の三味線はとくに〈古近江(こおうみ)〉といわれる名器で,江戸時代の小説川柳にも出てくる。現存しているものもあるが,厳密に何世までの三味線をいうかについては異論がある。初世は京都の人で石村源三(源佐,源左とも)といい,受領して近江守と称したという。2世近江源左衛門(法名浄本信士)のときに江戸に下ったので,彼を〈江戸元祖浄本近江〉という。この人の作を〈古近江〉という説がある。また4世までの作をいう説もある。とくに有名なのが元禄・宝永期(1688-1711)の5世近江忠次(俗名善兵衛,法名性真信士)で,頭髪散切(ざんぎり)にしていたので〈がっそう近江〉〈がっそう善兵衛〉などといわれた。〈近江〉の焼印をはじめて用いた(それ以前は墨書銘)といい,また胴の内側に綾杉というかんな目を彫ることをはじめた人という。6世までは代々実子が継いだので,6世までの作を〈古近江〉という説もある。7世以降は8世(6世の実子)を除いて弟子が継いだが,1864年(元治1)没の11世で絶えた。現在でもこの系統の三味線製作者がいる。東京三田の大信寺に代々の墓がある。
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朝日日本歴史人物事典 「石村近江」の解説

石村近江(5代)

生年生没年不詳
江戸中期,名人といわれた三味線製作者。江戸の人。号は性真。名は忠次,あるいは善兵衛。元禄・宝永期(1688~1711)に活躍。代々三味線製作に携わり,初代近江(源三,源佐,源左)は京都の人。2代近江(源左衛門,浄本)のとき江戸に移る。5代が最も有名で,「近江」の焼印をはじめて用いた。その姿から総髪善兵衛,がっそう近江などと呼ばれた。名跡は11代で絶えた。古い時代にこの家系で製作した三味線を特に「古近江」といい,数挺が現存するが,何代目までのものをいうのかはっきりしない。

(竹内道敬)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「石村近江」の解説

石村近江(5代) いしむら-おうみ

?-1708 江戸時代前期-中期の三味線製作者。
歴代の近江のうちもっとも有名で,近江の焼き印をはじめて使用した。三味線の胴の内側に綾杉(あやすぎ)と称するかんなの目をきざんだという。元禄(げんろく)以降に活躍し,その風体から「総髪善兵衛」「がっそう善兵衛」などとあだ名された。宝永5年11月9日死去。江戸出身。名は忠次。通称は善兵衛。号は性真。

石村近江(9代) いしむら-おうみ

?-1787 江戸時代中期の三味線製作者。
8代石村近江の弟子。文政末の随筆集「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」によれば,「9代は祖先にはじない名人で,古近江か新近江かで巧拙を論じてはならない」とある。天明7年1月22日死去。名は忠豊。通称は太兵衛。号は春峰,孤雲。

石村近江(2代) いしむら-おうみ

?-1636 江戸時代前期の三味線製作者。
初代は源三と称し京都で活動したが,2代目からは江戸にうつり,「江戸元祖浄本近江」を称した。ふるい代の作品は古近江といわれて珍重され,当時の小説や川柳にもよまれている。寛永13年3月2日死去。通称は源左衛門。

石村近江(7代) いしむら-おうみ

?-1715 江戸時代中期の三味線製作者。
6代の実子(8代近江)が幼少だったため弟子の宗忠が跡をつぐ。5代以後もちいられた「近江」の焼き印は,7代のときあたらしい焼き印にあらためられた。正徳(しょうとく)5年2月16日死去。号は相流。

石村近江(6代) いしむら-おうみ

?-1716 江戸時代中期の三味線製作者。
5代石村近江の子。初代以来6代までは実子がついだ。名器といわれる「古近江」の作者は,4代までとする説と6代までとする説がある。正徳(しょうとく)6年1月9日死去。名は忠貞。号は本立。

石村近江(11代) いしむら-おうみ

?-1865 江戸時代後期の三味線製作者。
石村近江は11代をもってたえたとされる。12代は江戸浄瑠璃(じょうるり)の河東節(かとうぶし)の間で知られた名工の小林幸栄がついだともいう。慶応元年5月21日死去。号は琴誉,秀本。

石村近江(4代) いしむら-おうみ

?-1696 江戸時代前期の三味線製作者。
3代石村近江の子。「雷電」「小蝶」などの作品が知られ,そのおおくは紀伊国屋文左衛門が所持したという。元禄(げんろく)9年1月27日死去。名は忠政。号は浄心(真)。

石村近江(3代) いしむら-おうみ

?-1657 江戸時代前期の三味線製作者。
2代石村近江の子。作品では「十二調子」が知られ,奈良屋茂左衛門が所持したという。明暦3年8月25日(一説には1月19日とも)死去。名は忠義。通称は源左衛門。

石村近江(10代) いしむら-おうみ

?-1804 江戸時代後期の三味線製作者。
「嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)」に,出羽(でわ)山形藩主秋元家が名工の家系断絶をおしみ支援したとある。文化元年8月19日死去。号は月峰。

石村近江(8代) いしむら-おうみ

?-1785 江戸時代中期の三味線製作者。
父は6代石村近江。病身のためか,はやくに弟子の忠豊に9代をつがせたという。天明5年2月18日死去。名は忠睦。通称は善五郎。号は倫超。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石村近江」の意味・わかりやすい解説

石村近江
いしむらおうみ

三味線製作者の名跡。幕末にいたるまで何代かにわたって襲名された。1世は京都の人であったが経歴未詳,2世から江戸に移り,5世が最も有名。歴代近江のうち,比較的古い時代のもの,普通には5世以前の近江の作品を「古近江」と称し,名器として特に尊重する。

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世界大百科事典(旧版)内の石村近江の言及

【山彦源四郎】より

…1717年(享保2)初世十寸見(ますみ)河東と河東節創立に参加,以後4世河東まで弾き,河東節三味線のスタイルを確立した。その姓は,3世石村近江作の山彦銘の三味線を入手してからという。(2)2世(?‐1792(寛政4)) 初世の門弟孫四郎の子。…

※「石村近江」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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