山本三朗(読み)やまもと さぶろう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本三朗」の解説

山本三朗 やまもと-さぶろう

1861-1933 明治-昭和時代前期の新聞人。
万延2年1月10日生まれ。山本正房の父。明治25年中国新聞社を創立し,日刊紙中国」(のち「中国新聞」)を発刊,社長となる。広島市会議員,県会議員などもつとめた。昭和8年4月10日死去。73歳。安芸(あき)(広島県)出身旧姓は友谷。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山本三朗の言及

【中国新聞】より

…広島県を中心に中国・瀬戸内海地方を読者圏にもつ有力日刊地方紙。1892年長屋謙二と山本三朗が共同で《中国》を創刊し,1908年5000号に達した機会に《中国新聞》と改題した。1898年共同創立者の山本三朗が社長となって以来,山本家が支配権をもっている。…

※「山本三朗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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