中国新聞(読み)ちゅうごくしんぶん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

広島県の地方日刊紙。岡山県山口県まで市場が広がっている。創刊は 1892年5月5日で,初め『中国』と称したが,1908年6月 21日 5000号記念を機に『中国新聞』と改題し現在に及んでいる。発行部数は朝刊 72万 6355,夕刊 10万 3292 (1996) 。

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デジタル大辞泉の解説

中国新聞社が発行する日刊ブロック紙。明治25年(1892)に広島で創刊。主に広島県内で読まれるが、岡山・島根・山口などでも購読されている。朝刊発行部数は約58万部(2019年上期平均)。
[補説]中国新聞の部数の推移
2010年…67万部
2011年…65万部
2012年…64万部
2013年…64万部
2014年…63万部
2015年…61万部
2016年…61万部
2017年…61万部
2018年…60万部
(各年の下期平均部数)

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百科事典マイペディアの解説

中国新聞社発行。本社は広島市。1892年《中国》として創刊され,5000号に達した1908年現名に改題。1941年《山陽日日新聞》を併合原爆惨害を受けたが発行を継続。1948年《呉新聞》と合併し現在に至る。発行部数,朝刊約73万部,夕刊約10万部(1997)。

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世界大百科事典 第2版の解説

広島県を中心に中国・瀬戸内海地方を読者圏にもつ有力日刊地方紙。1892年長屋謙二山本三朗が共同で《中国》を創刊し,1908年5000号に達した機会に《中国新聞》と改題した。1898年共同創立者の山本三朗が社長となって以来,山本家が支配権をもっている。1941年戦時新聞統合により広島県の代表的な新聞となった。45年8月原爆により社屋は全壊したが,10月には復興した。原爆被災地の新聞として原爆報道に力を入れ,特集記事〈ヒロシマ二十年〉を頂点とする原爆関係報道(1965年度新聞協会賞)や連載企画〈〈世界のヒバクシャ〉〉(1990年度新聞協会賞),また地域社会に密着した地方紙として〈暴力追放キャンペーン〉(1964年度菊池寛賞)を行うなど,優れた紙面活動で知られる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

中国新聞社が広島県を中心に発行している中国地方の有力日刊紙。本社は広島市。1892年(明治25)長屋謙二、山本三郎が創刊した『中国』に始まる。のち、長屋が退き、山本が社長に就任、以後、ほとんど山本家から社長が出ている。1908年(明治41)5000号から『中国新聞』と改題。1941年(昭和16)『呉(くれ)新聞』『芸備日日新聞』などを合併、県下の代表的日刊紙となった。1945年(昭和20)8月6日、原爆によって社屋、諸設備が被災、多数の殉職者を出したが、終戦後すぐに復興。世界平和の確立、地方文化の高揚などを社是とし、暴力追放キャンペーン、原爆関係報道などの紙面活動で注目をひいている。広島県での販売部数は他紙を圧倒している。発行部数は朝刊約64万7500部、夕刊約4万部(2011年2月)。

[高須正郎・伊藤高史]

『中国新聞社編・刊『中国新聞百年史』(1992)』

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