広島県を中心に中国・瀬戸内海地方を読者圏にもつ有力日刊地方紙。1892年長屋謙二と山本三朗が共同で《中国》を創刊し,1908年5000号に達した機会に《中国新聞》と改題した。1898年共同創立者の山本三朗が社長となって以来,山本家が支配権をもっている。1941年戦時新聞統合により広島県の代表的な新聞となった。45年8月原爆により社屋は全壊したが,10月には復興した。原爆被災地の新聞として原爆報道に力を入れ,特集記事〈ヒロシマ二十年〉を頂点とする原爆関係報道(1965年度新聞協会賞)や連載企画〈〈世界のヒバクシャ〉〉(1990年度新聞協会賞),また地域社会に密着した地方紙として〈暴力追放キャンペーン〉(1964年度菊池寛賞)を行うなど,優れた紙面活動で知られる。発行部数は95年11月現在72万部。
執筆者:広瀬 英彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国新聞社が広島県を中心に発行している中国地方の有力日刊紙。本社は広島市。1892年(明治25)長屋謙二、山本三郎が創刊した『中国』に始まる。のち、長屋が退き、山本が社長に就任、以後、ほとんど山本家から社長が出ている。1908年(明治41)5000号から『中国新聞』と改題。1941年(昭和16)『呉(くれ)新聞』『芸備日日新聞』などを合併、県下の代表的日刊紙となった。1945年(昭和20)8月6日、原爆によって社屋、諸設備が被災、多数の殉職者を出したが、終戦後すぐに復興。世界平和の確立、地方文化の高揚などを社是とし、暴力追放キャンペーン、原爆関係報道などの紙面活動で注目をひいている。広島県での販売部数は他紙を圧倒している。発行部数は朝刊約64万7500部、夕刊約4万部(2011年2月)。
[高須正郎・伊藤高史]
『中国新聞社編・刊『中国新聞百年史』(1992)』
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