中国新聞(読み)チュウゴクシンブン

デジタル大辞泉 「中国新聞」の意味・読み・例文・類語

ちゅうごく‐しんぶん【中国新聞】

中国新聞社発行する日刊ブロック紙。明治25年(1892)に広島創刊。主に広島県内で読まれるが、岡山島根山口などでも購読されている。朝刊発行部数は約50万部(2023年下期平均)。
[補説]中国新聞の部数の推移
2010年…67万部
2011年…65万部
2012年…64万部
2013年…64万部
2014年…63万部
2015年…61万部
2016年…61万部
2017年…61万部
2018年…60万部
2019年…58万部
2020年…56万部
2021年…52万部
2022年…51万部
2023年…50万部
(各年の下期平均部数)

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改訂新版 世界大百科事典 「中国新聞」の意味・わかりやすい解説

中国新聞 (ちゅうごくしんぶん)

広島県を中心に中国・瀬戸内海地方を読者圏にもつ有力日刊地方紙。1892年長屋謙二山本三朗共同で《中国》を創刊し,1908年5000号に達した機会に《中国新聞》と改題した。1898年共同創立者の山本三朗が社長となって以来山本家支配権をもっている。1941年戦時新聞統合により広島県の代表的な新聞となった。45年8月原爆により社屋は全壊したが,10月には復興した。原爆被災地の新聞として原爆報道に力を入れ,特集記事〈ヒロシマ二十年〉を頂点とする原爆関係報道(1965年度新聞協会賞)や連載企画〈〈世界のヒバクシャ〉〉(1990年度新聞協会賞),また地域社会に密着した地方紙として〈暴力追放キャンペーン〉(1964年度菊池寛賞)を行うなど,優れた紙面活動で知られる。発行部数は95年11月現在72万部。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「中国新聞」の意味・わかりやすい解説

中国新聞
ちゅうごくしんぶん

中国新聞社が広島県を中心に発行している中国地方の有力日刊紙。本社広島市。1892年(明治25)長屋謙二、山本三郎が創刊した『中国』に始まる。のち、長屋が退き、山本が社長に就任、以後、ほとんど山本家から社長が出ている。1908年(明治41)5000号から『中国新聞』と改題。1941年(昭和16)『呉(くれ)新聞』『芸備日日新聞』などを合併、県下の代表的日刊紙となった。1945年(昭和20)8月6日、原爆によって社屋、諸設備が被災、多数の殉職者を出したが、終戦後すぐに復興。世界平和の確立、地方文化の高揚などを社是とし、暴力追放キャンペーン、原爆関係報道などの紙面活動で注目をひいている。広島県での販売部数は他紙を圧倒している。発行部数は朝刊約64万7500部、夕刊約4万部(2011年2月)。

[高須正郎・伊藤高史]

『中国新聞社編・刊『中国新聞百年史』(1992)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「中国新聞」の意味・わかりやすい解説

中国新聞
ちゅうごくしんぶん

広島県の地方日刊紙。岡山県,山口県まで市場が広がっている。創刊は 1892年5月5日で,初め『中国』と称したが,1908年6月 21日 5000号記念を機に『中国新聞』と改題し現在に及んでいる。発行部数は朝刊 72万 6355,夕刊 10万 3292 (1996) 。

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百科事典マイペディア 「中国新聞」の意味・わかりやすい解説

中国新聞【ちゅうごくしんぶん】

中国新聞社発行。本社は広島市。1892年《中国》として創刊され,5000号に達した1908年現名に改題。1941年《山陽日日新聞》を併合。原爆で惨害を受けたが発行を継続。1948年《呉新聞》と合併し現在に至る。発行部数,朝刊約73万部,夕刊約10万部(1997)。

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デジタル大辞泉プラス 「中国新聞」の解説

中国新聞

株式会社中国新聞社が発行する新聞。主な販売地域は広島県、島根県、鳥取県、岡山県、山口県。1892年、日刊「中國」として創刊。

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