岩佐作太郎(読み)いわささくたろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩佐作太郎」の意味・わかりやすい解説

岩佐作太郎
いわささくたろう
(1879―1967)

アナキスト。千葉県に生まれる。東京法学院(中央大学の前身)卒業。1902年(明治35)渡米、社会主義者として活動し、06年幸徳秋水が渡米したのを機に社会革命党結成した。10年大逆事件が起こると、これに抗議する「公開状」を日本に送った。18年(大正7)に帰国、しばらくしてアナキズム運動に参加。大杉栄らの死後サンジカリズムを批判して「純正アナキズム」を唱えた。27年(昭和2)には中国に渡り、中国アナキズム運動とのつながりをもった。37年刊行の『国家論大綱』は岩佐転向を示すものとみられる。戦後は49年(昭和24)日本アナキスト連盟を結成、委員長となるが、その分裂後、岩佐ら反サンジカリズム系の人々は日本アナキストクラブを結成した。

[北河賢三]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩佐作太郎」の解説

岩佐作太郎 いわさ-さくたろう

1879-1967 明治-昭和時代の社会運動家。
明治12年9月25日生まれ。アメリカへわたり幸徳秋水らと交流。大逆事件の際はアメリカから天皇に公開状をおくり抗議。大正3年に帰国し,アナーキズム運動に参加。昭和21年日本アナキスト連盟全国委員長。昭和42年2月12日死去。87歳。千葉県出身。東京法学院(現中央大)卒。著作に「革命断想」「アナーキスト回想」など。

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