社会革命党(読み)シャカイカクメイトウ(その他表記)Partiya Sotsialistov-Revolutsionerov

デジタル大辞泉 「社会革命党」の意味・読み・例文・類語

しゃかいかくめい‐とう〔シヤクワイカクメイタウ〕【社会革命党】

ロシア帝政時代の政党。1901年創立。ナロードニキの流れをくみ、専制打倒土地革命目標とした。二月革命によって政権をになったが、十月革命後は左右に分裂して勢力を失った。略称SRエスエル

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精選版 日本国語大辞典 「社会革命党」の意味・読み・例文・類語

しゃかいかくめい‐とうシャクヮイタウ【社会革命党】

  1. ロシアの政党。正称社会主義者革命家党(略称SR)。社会民主労働党とともに二〇世紀初頭のロシアの社会運動を指導した。テロ行為を闘争の手段とする。二月革命時にはメンシェビキとともに多数派となり、党首ケレンスキー臨時政府を掌握したが、十月革命時には左右に分裂して勢力を失った。SR党。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「社会革命党」の意味・わかりやすい解説

社会革命党
しゃかいかくめいとう
Partiya Sotsialistov-Revolutsionerov

ナロードニキ伝統を受継ぎ,主として農民層の利益を代表して結成された帝政ロシアにおける左翼政党。通称エスエル。 1901年に創立され,広く農民,インテリゲンチア,都市商工業者などに支持層があった。非合法機関紙『革命ロシア』をもち,指導者は V.チェルノフ,M.ナタンソン,A.ケレンスキー,B.サビンコフなど。思想的には雑多な傾向で,「土地の社会化」や「地方自治の拡大」という綱領を掲げ,当初はテロによる要人暗殺によって帝政打倒をはかった。 05年革命後はこのテロ戦術を清算し,国会へ議員を送り込んで,進出をはかった。 17年2月革命後,左派と右派に分裂,右派はメンシェビキと結んで臨時政府を支持したが,左派はボルシェビキとともに十月革命を遂行し,革命政権の一翼をなした。しかし 18年のブレスト=リトフスク条約締結以降,農業政策でボルシェビキと鋭く対立し,モスクワ,ヤロスラビリで反ボルシェビキ・クーデターを起したが,いずれも失敗した。その後,一部は国外へ亡命,多くはボルシェビキへと転向し,党組織は消滅した。

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旺文社世界史事典 三訂版 「社会革命党」の解説

社会革命党
しゃかいかくめいとう
Sotsial-Revoliutsioner

ナロードニキの伝統をうけて,1901年に農民・労働者階級を中心に,急進的学生・知識階級が参加して結成したロシアの政党。エス−エル(SR)とも略称される
ツァーリズムに反対し,ミール制の確保の上にテロリズムをも認める革命を提唱した。メンシェヴィキや立憲民主党(カデット)と組み,三月革命当時ソヴィエトで多数派を占め,党首ケレンスキーは臨時政府を掌握してボリシェヴィキを弾圧したが,十一月革命によって打倒された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「社会革命党」の意味・わかりやすい解説

社会革命党
しゃかいかくめいとう

SR

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