戸切地陣屋(読み)へきりちじんや

日本の城がわかる事典 「戸切地陣屋」の解説

へきりちじんや【戸切地陣屋】

北海道北斗(ほくと)市に残る江戸時代末期の陣屋跡。国指定史跡。1854年(安政1)10月の日米和親条約締結後、江戸幕府は蝦夷地防衛の強化のため、津軽・南部・仙台・秋田松前の五藩に分担警備を命じた。これに伴い、松前藩が担当区域警固の拠点として築いた陣屋である。蘭学の築城書を参考につくられた四稜堡で、22棟の宿舎などの建物があり、6門の大砲を備えていた。松前藩は藩士をここに住まわせ、警固・守備のかたわら付近の開拓に当たらせたという。1868年(明治1)、榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府軍が北海道に上陸、陣屋の守備兵はこれを迎撃したが敗れ、陣屋を焼き払い松前及び箱館に敗走した。その後、函館の呉服商の岩船峯次郎が日露戦争の勝利を記念して、表御門跡から陣屋登り口までの道に桜の木を植樹したことで、桜の名所として知られるようになった。陣屋の保存状態も良好で、当時の国際・国内情勢を知るよい手がかりとなっている。JR江差線清川口駅からタクシー約10分。JR函館本線函館駅からタクシー約30分。函館-江差自動車道北斗中央ICから道道96号線を北上、約3分。◇穴平陣屋、松前陣屋、清川陣屋など、さまざまな呼称で呼ばれてきたが、1965年(昭和40)に国指定史跡となった際に「松前藩戸切地陣屋跡」に名称統一された。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報