木村秀(読み)きむら・しゅう

朝日日本歴史人物事典 「木村秀」の解説

木村秀

没年:明治20.10(1887)
生年:明治1.12(1868)
明治期の教育家。医師木村井光の次女。名は秀子とも。東亜医学校で医学を修め,明治17(1884)年,医術開業試験を荻野吟子らと受けるが失敗。その後帝大撰科入学を許可される。20年東京女子専門学校を設立,英語,漢学,算学を教授。学校設立願には漢学教授として尾崎紅葉の名もみえるが,秀没後の同校の消息は不明。周辺の人からの聞き書きに「木村秀子の履歴」(『女学雑誌』84号)があるが,全面的には信をおきがたい。

(村上雍子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木村秀」の解説

木村秀 きむら-しゅう

木村秀子(きむら-ひでこ)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android